生きるのって、意外と大変ですよね。
仏教の開祖であるブッダでさえ「人生は苦である」と言っています。なので間違いなく、人生は苦しみに満ちています。
しかし、生きるのが苦しいからといって、死んだ方がラクかといわれると、そういうわけではないような気もします。
し【死】
精選版 日本国語大辞典「死(し)」 – コトバンク
① 死ぬこと。生命がなくなること。生きる機能を失うこと。また比喩的に、ものごとの死んだようなさまをもいう。仏教では、これを四大(しだい)の離散とし、また寿命と体温と心識とがなくなることと説く。
「死」は誰に対しても、いつかは訪れるものです。
多くの人が自分の死を恐れる一方で、自らの死を望んでいる人も少なからずいます。
死ぬのは怖い。けど、生きるのも怖い。それでも生きていかなければならない。
今回の主人公は、「生きること」と「死ぬこと」の間で苦しみ、最後に「生きていくこと」を選んだ私の友人です。
彼からの頼みもあり、実際の彼の体験をもとに書かれた文章「死のうと思った僕が気づいた人生で大事な事」を掲載しています。
年末のある日の通話
※これはまだ友人の書いた文章ではありません。状況説明も踏まえて、少しだけ私の文章にお付き合いください。
その友人とは高校からの付き合いで、今でも月に1回は通話で話すくらいは仲が良いです。
友人と私の共通点といえば、これまでに何かと壁にぶち当たってきたことです。
もしかするとそれは、普通の人にとってはやすやすと乗り越えられる障壁なのかもしれませんが、友人や私にとっては、それが大きなものに感じられたのです。
2023年12月下旬、ちょうどクリスマスの時期に、友人から連絡がありました(ここからは友人を仮名で「三木君」と呼ぶことにします)。
私「もしもし、どしたん?」
三「年末年始に、ちょっと入院しようと思ってまして」
私「まじか。なんかあったん?」
三「いや、実は前から年末に死のうと思ってたんやけど」
私「ほう」
いや、待て待て待て待て。
一応「ほう」と相づちは打ったものの、理解が追いついていない。三木君、死ぬの?
三「それを防ぐために、入院してこようかなと」
なるほど、とりあえず命に別状はないようで安心した。
自分で立てた死ぬ計画を阻止するために、一週間ほど入院するとのことらしい。
私「そうかぁ。いつから死のうと考えてたん?」
三「今年の夏くらいかなぁ」
私「けっこう前やな」
三「うん」
夏の間も三木君とは連絡をとってはいたものの、まさかそんな事態になっていたとは。いま思えば、たしかに連絡の頻度が少なかったような気もする。
私「つらかったよな。いつでも言ってくれたらよかったのに」
三「そういうネガティブな話題はあまり出さん方がいいかと思って」
私「三木君、僕を誰やと思っとるん? 三木君の話は何でも聞くに決まっとるやん!」
三「うん、、ほんまありがとう」
まさかこの場面を文章にするとは思ってもいなかったので、私の言葉が偉そうに感じられるかもしれませんが、どうかご容赦ください。
この会話の後は、入院期間や入院中はスマホが使えないことを聞き、そして退院後にまた連絡する約束をして、通話を終えました。
三木君は統合失調症であり、大学を辞めてからは実家で生活している話は、以前から聞いていました。
しかし、それに伴う苦悩や葛藤、死への誘惑について、私は何も知ることができていませんでした。
以下に、三木君が書いた文章「死のうと思った僕が気づいた人生で大事な事」を掲載しています。
三木君、つらかったときのことを文章にしてくれてありがとう。
死のうと思った僕が気づいた人生で大事な事
大学中退、無職歴7年、統合失調症
いかにも駄目人間なレッテル
(いや、実際にそうなのだろう)
を世間から、そして家族からも貼られた人間
それが僕
そんな自分だが大学を中退してから
何も挑戦しなかった訳ではない
アルバイトにも挑戦したし
少し調子付いて就労も考えた事もある
しかし、描いた未来は悉く泡となった
そして自信を失い家族からも少し責められた
そのような日々を人は過ごしていると
「自殺」という言葉がどれほど甘美なものか
その考えに辿り着くのに
これまでのような努力などいらなかった
そして死ぬ計画を練り
あとはその日まで待つのみとなった
しかし死を考えてからずっと怖かった
眠れず食事も喉を通らない
どんなに決意を固めようとしても
死ぬと決めた日が近づくにつれ情緒が不安定になっていた
怖くて、怖くて仕方がなかった
誰かに助けて欲しかった
予定日の一週間ほど前に病院に行った
先生に「死のうと思います」と伝えた
すると涙が止まらなくなって、
僕は次の言葉には
「助けて下さい」と言っていた
そして入院した
絶対に死ねない環境
それによって僕は自殺を回避できた
退院して3ヶ月ほど経った今
僕は家族や友人との繋がりを感じ
穏やかな日々を過ごしている
嫌な事も多少はあるが津波というより
押しては返す波のようなささやかな日常
嬉しい事も悲しい事も人に話して
心の風船がはち切れてしまわないように
適度にガス抜きをする
なんとか心の平穏を保っている
本気で死のうと思った
そして本当に怖かった僕が
気づいた人生で大切な事
それは
“本当に辛い時、「助けて」
と誰かに伝える事”
今まさに苦しみの最中にいる貴方に
それだけは伝えたい
「一人じゃない」
それはこの言葉を文字ではなく
心でありありと実感した僕が保証する
必ず助けてくれる人がいる
必死にもがいて人生に向き合っている
そんな貴方の僕は味方だ
これからも苦しい事や辛い事があるだろう
そしてそれはきっと
喜びなどよりもずっと多いことだろう
しかし自分の人生を生き切って死ぬ時
人は初めて本当の幸福を知るのかもしれない
そう信じて生きていこうと思う
今になって思うこと
以上が、三木君が書いた文章でした。
「本気で死のうと思った」
「怖くて、怖くて仕方がなかった」
この言葉を実感を伴って言える人間は、それほど多くはないと思います。
普段通話するときの三木君は、陰鬱な様子を一切見せることなく、明るく朗らかに私の話を聞いてくれます。
しかし、私は思っていたよりも、三木君のことを知らなかったのだと思います。私が知っている三木君の印象だけでは、彼の当時の苦しみを推し量ることすらできません。
それでも、生きることを選んでくれたことが何よりも嬉しく、そして私自身もどこか救われた感覚がありました。事情を伝えてくれて、生きるための行動を起こしてくれて、心から良かったと思います。
“本当に辛い時、「助けて」
と誰かに伝える事”
これは人生において、どんな状況でも、誰にとっても重要なことです。
「自分には『助けて』と言える相手なんていない」という方もいるかもしれません。
そんなときでも、自分から手を伸ばしてみることで、想いを声に出してみることで、状況は一変するかもしれません。
「一人じゃない」
これは、私のような薄っぺらい人間の吐いた言葉ではありません。本気で死のうと思っていた人間の言葉です。
最後に、中島美嘉さんの『僕が死のうと思ったのは』という曲をご紹介させてください。もし可能なら、歌詞も目を通しながら聴いてみてください。
ここまで読んでくださった方には、何か感じるものがあると思います。
まとめ
オーストリアの精神科医、心理学者のフランクルは「人間とは、生きる意味を『問う存在』ではなく、人生から『問われている存在』である」と言いました。
私たちは日々、今この瞬間も、人生から「どう生きるのか」を問われては、答えを出すことを求められています。
三木君は「生きるか、死ぬか」という問題から抜け出し、「どう生きていくか」を考える人生を自分で選び取りました。
そんな彼は現在、資格取得に向けての勉強をするかたわら、シンガーソングライターとしてオリジナル曲の制作に励んでいます。
この文章が、どれだけの人に届くかはわかりません。彼の気持ちが、どれだけの人に理解されるかもわかりません。
それでも、彼が言葉にしてくれたその想いを、ここにひっそりと置かせていただきます。
もしご感想やコメント等がありましたら、お問い合わせフォーム、マシュマロを通じてご連絡ください。友人宛にいただいたコメントは、私を通じて連絡させていただきます。