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【感想】映画『リリイ・シュシュのすべて』美しい鬱作品の見どころ解説

映画
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映画リリイ・シュシュのすべては、岩井俊二監督が「自分で遺作が選べるなら、これを遺作にしたい」と述べた作品でもあります。

美しい映像と音楽とは対照的に、過激なシーンも含まれる本作品は「鬱映画」と言われることも多く、なかなか観ることができませんでした。

今回やっとの思いで観ることができたので、個人的な感想や見どころの解説を書きました。

以下の内容は、映画『リリイ・シュシュのすべて』のネタバレを含みます。ご注意ください。

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『リリイ・シュシュのすべて』のあらすじ

田園が美しいある地方都市。中学二年の蓮見雄一(市原隼人)は、かつての親友、星野(忍成修吾)にいじめられ、窒息しそうな毎日を送っている。唯一の救いはカリスマ的歌姫リリイ・シュシュの歌声だけ。自らが主宰するファンサイト「リリフィリア」の中にいるときだけが本当の 自分でいられる瞬間だった・・・。

リリイ・シュシュのすべて| Filmarks映画
  • 監督、脚本、編集:岩井俊二
  • 音楽:小林武史
  • 撮影:篠田昇
  • 出演者:市原隼人、忍成修吾、蒼井優、伊藤歩、大沢たかお、稲森いずみ ほか
  • 公開日:2001年10月6日
  • 制作国:日本
  • 上映時間:146分
  • 配給:ロックウェルアイズ

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『リリイ・シュシュのすべて』の感想

「鬱作品は、鬱のときに見るのがいいんじゃないか」

と、“鬱作品マエストロ”の友人は語る。

これを聞いて以来、鬱作品は気分が沈んでいるときに見るようになった(それほどダメージを受けない程度に)。これが正解なのかどうかは分からないけれど、マエストロが言うのだから間違いない。

今回取り上げる映画『リリイ・シュシュのすべて』も「鬱作品」と言われている

ちらっと映画のポスターを見ただけでも「あ、これはハードル高そうだな」と感じた。少なくともテキトーに観ていい作品ではないと直感して、観ることができなかった。

ただ今はいい具合に気分も落ち込んでいるし、今日はちょうど文化の日だし。重い腰を上げてみるかと思って、U-NEXTで『リリイ・シュシュのすべて』を観ることにした。

たぶん、再生前にこれが2時間以上もある映画だと知っていたら、観るのをやめていたと思う。

美しい映像と心地よい音楽

見終えた感想は綺麗な鬱映画だったなというものだった。

たしかに過激な表現も多かったけど、見終えて思い出すのは美しい映像と心地よい音楽。

田園の緑とドビュッシーの音色がノスタルジーを呼び起こし、少年少女のリアルが「リリイ・シュシュ」という名の”エーテル”に溶け込んでゆく。

この“エーテル”というのがこの映画のテーマなのだと思う。が、これについては以下の記事にまとめたので、今回は全体の感想をつらつらと書いていこうと思う。

「十四歳の、リアル」

映画『リリイ・シュシュのすべて』の副題は十四歳の、リアルである。

個人的に、14歳(中学二年生)と17歳(高校二年生)は、いろんな意味で自分と向き合う時期だと思っている。

目の前の人間関係に悩みながらも、うっすらと自分の将来を考え始める時期。自分とは何者なのかを考え始める時期。

さすがに『リリイ・シュシュのすべて』で描かれていた”リアル”はかなりハードだったけど、そんな彼らの心情に惹かれた人も多かったと思う。

「自分で遺作が選べるなら、これを遺作にしたい」

lilyholic

パスカルこと、岩井俊二監督は『リリイ・シュシュのすべて』のホームページでそう語る。

この映画で象徴的なのは、主人公の蓮見はすみ雄一ゆういち(市原隼人)が田園の緑の中に立ってリリイの音楽を聴いているシーンだ。オープニングとエンディング、途中のカットで登場するこの場面は、観る者の心をグッと掴んで離さない。

この風景を見てふと思い出したのが、サリンジャーの『ライ麦畑でつかまえて』だった。

『ライ麦畑~』の主人公・ホールデンは、成績不振で学校から追い出されてしまう。この世のすべてが嫌になったホールデンは、「自分がなりたいもの」について次のように言う。

「とにかくね、僕にはね、広いライ麦の畑やなんかがあってさ、そこで小さな子供たちが、みんなでなんかのゲームをしているとこが目に見えるんだよ。何千っていう子供たちがいるんだ。そしてあたりには誰もいない――誰もって大人はだよ――僕のほかにはね。で、僕はあぶない崖のふちに立ってるんだ。僕のやる仕事はね、誰でも崖から転がり落ちそうになったら、その子をつかまえることなんだ――(後略)」

ライ麦畑でつかまえて – Wikipedia

何となく思い出しただけなので、ここで『リリイ~』と『ライ麦畑~』を並べて論じるつもりない。ただ少し気になって調べてみたら、岩井監督のあるインタビュー記事が見つかった。

「自分にとって一番思い出深いのはダコタハウス。ここでジョン・レノンを殺したチャップマンという男についてのルポルタージュを読んだことがあって、すごく印象に残ってたんです。彼はポケットに『ライ麦畑でつかまえて』(J・D・サリンジャー著)を入れてるんだけど、『ライ麦畑』にもニューヨークが出てくる。ジョン・レノン殺害までの数日間、町をうろつくさまが(小説の主人公の)ホールデンと重なって…。自分で実際に(ダコタハウスに)訪れてみると、ただの場所でしかないんだけど、すごく(自分の中で存在が)大きくて。その後に作った『リリイ・シュシュのすべて』にもすごく影響を与えましたね」。

岩井俊二監督インタビュー N.Y.のダコタハウスが『リリイ・シュシュ』に影響 | cinemacafe.net

これを読んで、そういえば映画の冒頭にジョン・レノンの名前が出てきたことを思い出した。彼の命日は、リリイ・シュシュが生まれた日と一致する。

バラ色と灰色の中学生活

《1999年》
《十三歳。》
《色にたとえれば、バラ色。》
《今が灰色だとすれば。》
《投稿者:フィリア》

映画『リリイ・シュシュのすべて』より

学生生活を「薔薇色」と「灰色」で表現するのは、私の中では米澤穂信先生の『氷菓』の印象が強いけど、『リリイ~』で描かれる灰色はもっと色褪せている。

「バラ色」だった頃の雄一は、冒頭に登場していた人物とは別人だった。それは雄一の同級生・星野ほしの修介しゅうすけ(忍成修吾)も然り。中学校に入学したばかりの彼らは明るい性格で、仲の良い友人同士だった。

夏休みに入り、雄一と星野を含む剣道部のメンバー5人で行った沖縄旅行の映像も、等身大の中学生が映されているようで良かった。

たしかに他と比べて画質は悪いけど、これはこれで良い味が出ていたと思う。これは彼らがホームビデオを撮っているという設定で、撮影はハンディカメラのみで行われたとのこと。

あとは、沖縄で知り合った変なおじさん・高尾たかお旅人たびと(大沢たかお)の存在も個人的には面白いと思った。小説版では東大生という設定らしく、沖縄の生物に詳しい。タイミングよく雄一たちの前に現れて、飯にありついていたのには笑った。

「(前略)僕らにとっては自然の楽園かも知れないけど、そこに生きる生物にとっては地獄かも知んないよな。でも、自然っていうのはそういうもんだよ。それがいいとこなんだけどね。生と死が隣り合わせにある場所。それがスリリングなのさ。そう思わない?だから、こういう旅はやめられないっちゅう訳ですよ」

映画『リリイ・シュシュのすべて』高尾のセリフ

この沖縄旅行中に、星野は2度も死にかけている(ダツという魚に刺されかけたり、海で溺れたり)。溺れたときは人工呼吸までされて一命をとりとめた。

また、高尾が車に撥ねられた現場を目撃したことで、星野の「生きること」に対する意識が揺らぐ。いや、このときにはすでに、これまでの星野は死んでしまったのかもしれない。そして別の何かが生まれてしまった。

生と死が隣り合わせにある場所。その境界の物語として描かれた沖縄旅行

バラ色に描かれていた彼らの中学生活は、視界がぼやけた夏休みを経て、しだいに彩度が失われてゆく。

ノストラダムスの大予言が外れたせいでこの世界は終わることなく、灰色の2学期が始まってしまう。

金で救われない闇

個人的に印象に残っているのが、雄一が津田つだ詩織しおり(蒼井優)を家まで送る道中の田んぼ道での場面。

津田は”仕事”で稼いだお金を雄一に投げつけ、雄一を鞄で叩いたり蹴ったりして八つ当たりする。そして、地面に落ちた一万円札を破れるまで足で踏みつけ、制服のまま田んぼ脇の小川に入って行く。泥水にまみれて泣いている津田を、雄一はただ眺めることしかできない。

何でもない田舎の田園風景。なんなら、私の地元でも見かけそうなありふれた場所なのに、彼らが映り込むと物語が生まれる。クラスメイトを蹴ったところで、自分の鬱憤を晴らすことはできない。穢れた身体を泥水で上書きすることもできない。そのときの彼女にできたことは、ただ涙を流し、汚れた身体を水道水で洗い流すことだけ。そこに、雄一にできることは何もなかった。

同じような場面で、沖縄旅行の資金として奪った大金を星野が海にばらまくシーンも印象深い。

彼らにとって、金の価値は何の意味もなさない。彼らが求めているものは、金で買うことができない。

いくら金を浪費しても、自分たちの心は満たされないことに気付く。

仲間と協力して(他人から奪って)手に入れた大金も、星野にはただの紙屑にしか思えなくなったのではないか。海の上で一万円札をばらまき、彼は不敵な笑みを浮かべる。

このときにはすでに星野の良心は死んでいた。

無関心な大人たち

『リリイ~』は中学生に焦点を当てた作品だけど、もちろん大人も登場している。

ただ、その大人たちがあまりにも無力で、どうしようもない。

生徒が万引きしたCDを購入することで場をおさめる事なかれ主義の教師、息子の夜遊びを叱れず逆に小遣いを渡す継父、援助交際で財布を盗まれる男、沖縄でタダ飯にありつく高尾さん。

最初に観ていたときは、万引きした雄一を教師たちは頭ごなしに怒鳴ることなく、母親への事情説明も穏便に済まそうとする優しい先生だなと思った。しかし、それは優しさなどではなかった。

愛の反対は憎しみではなく無関心という言葉があるけれど、あの場面で心から雄一のことを想っていたのは、万引きした雄一を叩いて叱った母親だけだった。

学校からの帰り道、自転車に乗った雄一は、前を歩く母親を一旦無視して通り過ぎるが、少し先で止まって母親を待つ。そして母親を自転車の後ろに乗せて、二人で田園風景を走っていく様子は、とても美しかった。

『翼をください』

学校の合唱コンクールの練習で、クラスの人間関係に亀裂が生まれるのは中学生あるあるだと思う。

が、少なくとも私たちの学校では、この作品ほどではなかった。どれだけ不仲になっても、一応ピアノの伴奏に合わせて歌は歌っていた。

いじめの首謀者の女子は、久野くの陽子ようこ(伊藤歩)がピアノ伴奏をするなら歌わないと言って、合唱の練習をボイコットした。それに対する妥協案として、久野はピアノなしバージョン、つまりアカペラのアレンジを提案する。

それから猛練習の結果、合唱コンクールは無事成功に終わる。『翼をください』のアカペラ合唱。どうなるんだろうと思いながら観ていたけど、あまりに合唱が上手すぎて笑ってしまった。

とっさの機転と、それを実現させる能力。そして理不尽に負けない強さ。自分に足りないものを持っている久野に、雄一は想いを寄せていく。合唱中、雄一はピアノの横で一人立っている久野を見つめていた。津田からの視線には一切気づくことなく。

『飛べない翼』

鉄塔と飛行機雲と、空飛ぶカイト。それを見上げている津田。

頭の中に流れるリリイ・シュシュの『飛べない翼』。

夕暮れの空は あかく
みんなの視線 冷たく

そして大きな石が
空から落ちてきて
私を押しつぶす

飛べない翼/Lily Chou-Chou|JOYSOUND.com

カイトをやっている人に声をかけ、飛ばし方を教えてもらっている津田があまりに自然体で、津田を演じているのか、素の蒼井優なのか分からなかった。

「空飛びたい」

「カイトに乗りたい」

「あー落ちる落ちる落ちる!あー!」

夕暮れの空は あかく
もうすぐに暮れてしまう

だから飛べない翼を
捨てたら 捨てたなら
あたしは舞い上がろう

飛べない翼/Lily Chou-Chou|JOYSOUND.com

小説版では、自殺するのは津田ではなく久野だったらしい。出演者のキャラクターに触れて考えた結果、映画ではこのようなストーリーになったとのこと。

久野には自分で頭を丸坊主にする強さがあった。決して思い通りにはさせないと抵抗する強さがあった。

「きっと大丈夫だよ。久野さん。強い人だから」

彼女が最期に見せた笑顔は、とても素敵だった。

青猫とフィリアの正体

『リリイ~』を観ていて、私は最初からある勘違いをしていた。

私はずっと、雄一がリリイ・シュシュのファンサイト「リリフィリア」での「青猫」だと思っていた。

あらすじも読まずに観ていたので、雄一がリリフィリアの管理人「フィリア」であることに気付かなかった。

そのため、私の中では青猫と距離が縮まっていく「フィリア」は一体誰なんだ? という疑問を抱えながら途中まで観ていた。

終盤のライブ会場での出来事から、雄一がフィリアであり、星野が青猫であることにようやく気付いた。

もし雄一が青猫だとしたら矛盾点が多いような気もしていたけど、それが勘違いだと分かってスッキリした。ただ、どうしても雄一がファンサイトを運営するようなキャラに思えず、そこが少し腑に落ちない部分ではあった。

むしろ、キャラ的に星野がフィリアだったほうがしっくりくる。もしかしたら、観客がそうミスリードするように、意図的に誘導されていたのかもしれない(もしくは私の理解力が乏しいだけか)。

現実世界でもネット上でも引かれ合う、雄一と星野。フィリアと青猫。

しかし、最後まで彼らがわかり合うことはなかった。

ちなみに「フィリア」は、ギリシャ語で「友愛」を意味するらしい。

エーテルとは何だったのか?

冒頭も述べたように、“エーテル”という概念がこの映画のテーマなのだと思う。

これについては少し長くなって別記事にまとめたので、以下をご参照ください。

まとめ

以上、映画『リリイ・シュシュのすべて』の感想をつらつらと書いてきた。

他の人の感想を見ていると、「十代の頃に見たかった」という意見をちらほら見かけた。

たしかに、焦点が当てられているのは十代の少年少女たちであり、彼らの心情をよく理解できるのは同年代の若者だと思う。

ただ、私は自分が十代の頃にではなく、大人になった今、観ることができてよかったと思っている。

もし十代の頃に観ていたら、きっと大した感動はできなかっただろう。

昔は、歳を重ねるにつれて自分も強くなっていくのだと思っていたけれど、実際に大人と呼ばれる年齢になって、意外とそうでもないということに気付く。

弱くなったな、自分。そう感じることが多々ある。そんなときには、

「弱ったときにこそ、鬱作品がオススメだぜ」

と、遠くから”鬱作品マエストロ”の声が聞こえてくる(幻聴?)。

最後に一言だけ。良質な鬱作品は、用法・用量を守って楽しく鑑賞しましょう。

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