雨は何かと、嫌われ者だ。
雨が好きだという人なんて、ほとんどいないと思う。
実際、あるアンケート調査によると[1]、「雨が嫌い(あまり好きではない)」という人は、全体の8割近くを占めるらしい。
日常生活以外でも、たとえば小説や曲の歌詞でも、「雨」はネガティブな表現として使われることが多い気がする[2]。
「雨」という言葉は、「悲しい」や「つらい」などの悪い状況を表現したり、涙の比喩としてもよく使われている。
私たちの中には、どこか「雨」=「ネガティブ」という印象があって、日常生活でも作品の中でも、雨はよく思われていない。
でも私は、雨は何も悪くないと思っている。
前までは私も雨が嫌いだったし、今でも服が靴が濡れるのは嫌だし、傘をさすのも面倒だなと思う。
でも今は、雨を嫌いだとは思わない。
そこで今回は、私が「雨を嫌だと思わなくなった」きっかけについて書いていきたい。
こんなことを書いて何になるのだろうと思われるかもしれないけど、私の中では大きな発見だったので、ちゃんと言葉にして残しておきたいと思う。
雨が嫌いだった頃
雨が嫌いだった頃、
「恋は奇跡。愛は意思。」コピーライター尾形真理子さんに聞く、言葉のつくりかた | ハフポスト PROJECT
わたしはまだ
誰のことも好きじゃなかった。
私はこのめちゃめちゃ素敵なコピーが好きだ[4]。
「雨」が持つネガティブな印象も雰囲気も、未熟さを醸す過去形も、この後に続くであろう言葉も、すべてが絶妙に配置されている。
この一文が表す意味としては、「誰かを本気で好きになると、雨も悪くないと思える」になると思う。
もしくは、「雨なんてどうでもよくなる」ともいえるだろうか。
つまり、雨なんてどうでもいいと思えるほど好きになれる人ができた、ということである[5]。
この流れで書くのも少し変な気がするが、私も高校生の頃までずっと雨が嫌いだった。
けれど、ある日を境にして、雨がどうでもよくなった。
ただ残念ながら、誰かを好きになったからというわけではない。それはもっと頭でっかちな理由からだった。
雨を止めることはできない
学校からの帰り道、私は雨の中を歩いていた。
そのときふと、「雨ってなんで降るんだろう?」と思った。
私は学校で習った理科の知識をもとに、どうして雨は降るのか考えてみた。
空気中に含まれる水蒸気が上昇して雲になり、その雲が発達して雨が降る。そして地上に降った雨水がまた蒸発して、それが空まで上昇して雲になって……[6]。
そうやって考えたとき、私が理解したのは「自分ができることは何もない」ということだった[7]。
「雨」というのは、結局のところ、地球上で水が循環する過程の一部を指した言葉である。
つまり、地球上の水が、水蒸気や水滴に姿を変えて、地上や空を移動する過程の一部を「雨」と呼んでいるということだ。
この自然現象はすべて、科学の法則に従って発生している。
つまり、すべて科学的に説明することができるということである[8]。
そこに意思や悪気なんてものはなく、ただ物理現象の結果として「雨」が生じただけであって、それにとやかく言うのはお門違いだと思った。
ここでの問題は「雨」という現象に対してではなく、雨に濡れたことに不快感を感じる「自分」の中にあるのだと気づいた。
そこまで考えたときに思った。
「雨って何も悪くないやん」
私はどこか、小さな悟りを得た気分だった。
雨はただ降っているだけ
それ以来、私は雨を何とも思わなくなった。
もちろん、靴が濡れるのは不快だけど、それもまぁ仕方ないなと思って、受け入れるようになった。
これは「諦め」ではなく、当たり前のことだと「納得」して受け入れている。
雨は何か悪気があって、私の靴を濡らそうとしているわけではない。
ただ降っているだけなのだ。
そんな雨に対して腹を立てたところで、何も応えてはくれない。
ごくたまに、私たちの機嫌を取るために、虹を見せてくれることはあるけれど。
まとめ
ここまで、「雨は何も悪くない」という話について書いてきた。
とは言っても、中には雨のせいで体調を壊したり、気分が落ち込むという人もいるだろうから、そういう意味では「雨は何も悪くない」とは言い切ることはできないと思う。
ただ、なんとなく雨が嫌いという人に向けて、結局のところ、雨をどう思うかは自分の考え方しだい、ということを伝えたかった。
雨のことを自分なりに考えてみた結果、私の場合は上手くいって、嫌だという思いがなくなった。
なので、もしあなたが雨を煩わしく思うようなら、どうしてそう感じるのか一度考えてみてほしい。
もしくは、雨なんかどうでもよくなるくらい好きになれる誰かを見つけるか。
もし可能であるなら、私は後者をおすすめする。
そのほうがきっと、雨だけじゃなくて、嫌なこと全部がどうでもよくなるだろうから。
注釈
[1]雨の日のこだわり | 毎週アンケート | ハピ研|アサヒグループホールディングス
アサヒグループホールディングスのお客様生活文化研究所が運営する、情報発信型ウェブサイト『青山ハッピー研究所(通称:ハピ研)』による調査。[調査対象:全国の20歳以上の男女、有効回答数:1,576人、調査方法:インターネット調査、調査期間:2008年6月18日~6月24日]
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[2]と言いつつ、ことわざでは「雨」は良い意味として使われているものも多い。たとえば「雨垂れ石を穿つ」「晴耕雨読」「五風十雨」など。昔は「恵みの雨」として肯定的に捉えられていたからだろうか。ちなみにネガティブな意味で「雨」が使われていることわざの例は「雨降って地固まる」「櫛風沐雨」など。(参考:雨のことわざ一覧 – 故事ことわざ辞典)
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[3]雨が嫌いだった頃、わたしはまだ、誰のことも、好きじゃなかった。 | 僕らは言葉でできている
広告コピーや映画・漫画のセリフ、歌詞、偉人の名言などを集めて、短い評論とともに紹介している素敵なサイト。こちらの画像を引用させていただきました。
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[4]コピーライター・尾形真理子氏のコピー。この一文だけでいろんな見方・捉え方ができるところが好きだ。広告コピーだから、これを見た多くの人に当てはまるように、共感できるように書かれているのだと思うけど、「余白」というか、読み手が自分の想像で補って解釈する部分が絶妙だと思った。言葉を扱うお仕事なのに、言葉を使わないでメッセージを伝えているところが凄い。
こちらの記事を読んで、2019年3月1日公開の『映画ドラえもん のび太の月面探査記』の広告ポスターのコピーを手掛けたのも尾形氏だったということを知った。テーマは「大人になったすべての子どもたちへ」。私はこのポスターを見て、十数年ぶりに劇場で映画ドラえもんを見た。スネ夫のポスターの「大人のフリが上手な人が、大人なだけだよ。」という言葉に胸を打たれた。
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[5]わざわざ言うまでもないことを、説明のためにあえて書くという野暮な真似をどうかお許しください。
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[6]厳密ではないけれど、イメージとしては、だいたい次のような感じ。
- 太陽が湿った空気を温める
- 湿った空気が上昇して、冷やされて雲になる
- 雲が成長する
- 重くなった雲の粒が、雨として降ってくる
- 降った雨は、川や海に戻る
- 1~5の繰り返し
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[7]当時は知らなかったけど、人工的に雨を降らせる技術である「人工降雨」というものがあるらしい。これを使えば、人間にはどうすることもできないと思っていた雨も、制御することができるかもしれない。ただ、「人工降雨はある程度発達した雨雲がある場合に有効であり、かつ成功するもので、雲の無い所に雨雲を作って雨を降らせるのは不可能である。その雨量も、本来の雨量を1割程度増加させるくらいで、自由に降水量を制御できるまでには至っていない。」(出典:Wikipedia「人工降雨」)らしいので、完全に制御するのはまだ難しそうである。とはいえ、これは科学的に説明可能な現象である「雨」を、科学的な方法によって制御しようとする試みであることは間違いない。
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[8]気象のメカニズムについて、今はまだ未解決の部分もあるかもしれないけど、いずれは科学的に解明されると思っています。
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※参考までに、本文では紹介できませんでしたが、「雨」について幅広く知識をつけたいという方は、こちらのコトバンクの日本大百科全書(ニッポニカ)「雨」の解説が、内容も分量もあっておすすめです。