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【100分de名著】松尾芭蕉『おくのほそ道』を見た感想と要約

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中学生の頃に、国語の教科書で勉強した奥の細道

当時は、松尾芭蕉が旅をする目的や伝えたいことがよく分からないまま、暗唱テストをパスするために必死で暗記していた。

大人になってからいろんな場所を訪れるようになり、そこで芭蕉の句と出会うことも多く、純粋に「芭蕉は旅の道中で何を考えていたのだろう?」と気になった。

そこで本記事では、NHKの番組「100分de名著」《松尾芭蕉『おくのほそ道』》の解説を聞いて、学んだことや感じたことをまとめてみました。

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今回の100分de名著

松尾芭蕉が記した「おくのほそ道」。俳句が随所に散りばめられた旅のドキュメントというイメージがあるかと思いますが、実はそうではありません。今回はその意外な姿に迫ります。
伊賀に生まれた芭蕉は、武士の家に奉公人として仕えていた時に俳諧連歌に出会い、俳諧師になりました。俳諧とはもともと“滑稽”を意味し、上の句と下の句を複数の人が読みあうもので、遊びの要素が強く、芸術といえるほどではありませんでした。
芭蕉は、この俳諧を和歌に匹敵する文学へと磨き上げようとしました。そして“蕉風”と呼ばれる独自の境地を開きます。これが後の俳句へとつながっていくのです。
46歳の時、芭蕉はある大きな決意をします。古くから和歌に読み込まれてきた景勝地「歌枕」の宝庫であるみちのくを訪ね、理想の句を生み出そうとしたのです。その旅が「おくのほそ道」でした。

名著26 松尾芭蕉『おくのほそ道』:100分 de 名著

各話の詳細については、こちらを参照。

各話の感想

第1回 心の世界を開く

芭蕉はなぜみちのくへと旅だったのだろうか?今回は「古池や 蛙飛こむ 水のおと」という有名な句を手がかりに、芭蕉の心境を推理する。江戸・深川を出発した芭蕉は、寺社をめぐりながら日光へと向かった。長旅の安全を祈願するのが目的だが、実は日光の描写には、芭蕉の周到な計算が見え隠れしている。第1回では、旅にこめた芭蕉の思いを描く。

名著26 松尾芭蕉『おくのほそ道』:100分 de 名著

松尾芭蕉と河合かわい曾良そらの二人は、1689年3月27日~9月6日(旧暦)の約150日間の旅に出た。その行程は2400km。江戸の深川からスタートして、日光、松島、平泉を経由し、奥羽山脈を越えて日本海側を下って、岐阜の大垣までの旅路であった。

その旅の内容が書かれた『おくのほそ道』は、単純に旅の出来事を記した「紀行文」ではないというのに、まず驚いた。内容を一部改変したり、想像で補ったりしている部分もあるという。つまり、『おくのほそ道』は旅のドキュメンタリーではなく、芭蕉による文学(創作)といえる。そして芭蕉は、亡くなるまで『おくのほそ道』を推敲し続けたという。

月日は百代はくたい過客かかくにして、
行かふ年も又旅人也。
舟の上に生涯をうかべ、
馬の口とらえておいをむかふる物は、
日々旅にして、旅をすみかとす。
古人も多く旅に死せるあり。
予も、いづれの年よりか、
片雲の風にさそはれて、
漂泊の思ひやまず(後略)

名著26 松尾芭蕉『おくのほそ道』:100分 de 名著(番組内の文章より)

中学生のときに、授業でこの冒頭文の暗唱テストがあったのを思い出す。その頃は特に何も思わなかったけど、旅を重ねるにつれて、この文章が好きになった。

講師の長谷川先生曰く、ここで重要なポイントは「時間は旅人である」「時間とともに旅をする人がいる」、その中には旅で亡くなった詩人もいるが、芭蕉自身「私もそうなりたい」という思いが書かれているとのこと。

多くの人にとって、『おくのほそ道』といえばこの冒頭文という認識が強いと思うが、芭蕉にとっても、『おくのほそ道』全体を通して、この「悟り」にも似た想いを表現したかったのかもしれない。

俳句と俳諧の違い

そもそも「俳諧」と「俳句」の違いは何か。まず最初に風流や雅やかを追求した「和歌」があり、そこから上の句と下の句を別の人が詠み合う連歌れんがが生まれた。この連歌に滑稽味を出したものは俳諧連歌はいかいれんがと呼ばれた。

この「俳諧」とはもともと「滑稽」を意味する言葉らしい。それから、俳諧連歌の上の句(発句ほっく)が独立して「俳句」と呼ばれるようになったらしい。

  • 和歌(57577:風流・雅を追求する
  • 連歌(575 77:上の句と下の句を別の人が詠み合う
  • 俳諧連歌575 77:滑稽を追求する
  • 俳句(575:俳諧連歌の上の句(発句)

芭蕉は蛙を見ていない?

古池や 蛙飛こむ 水のおと

名著26 松尾芭蕉『おくのほそ道』:100分 de 名著(番組内の文章より)

芭蕉の有名なこの句も、古文の授業で覚えた記憶がある。〈「古池や」の「や」は切れ字(句の切れ目)で感嘆の意味がある〉というのを、意味も分からないまま覚えた気がする。てっきり、古い池に蛙が飛び込んで水の音がしたのを見てこの句を詠んだのだと思っていたけど、実は違っていたらしい。

長谷川先生曰く、この「古池や」は芭蕉が水の音を聞いて想像したものらしいというのも、この句が作られたときの記録が残っているらしく、芭蕉は芭蕉庵にいるときに「ぽちゃん」という水音を聞いて、そこから最初の「古池や」を考えたらしい。

要するに、そこに古池があったわけでもないし、飛び込んだのが蛙だったかどうかすら分からない。ただ水の音を聞いて、芭蕉はこの句を詠んだらしい。しかも、「古池や」は「蛙飛こむ 水のおと」の後に考えついた言葉だったとのこと。

現実に存在するものではなく、心に浮かんだイメージを俳句で表現した。「心の世界」を俳句に取り込んだ。この句こそが蕉風しょうふう開眼かいがんの一句と呼ばれる所以である。

個人的には、これを聞いて、俵万智さんの「サラダ記念日」の話を思い出した。有名なサラダ記念日の歌は、実はサラダではなく、鶏の唐揚げだったという話。ちなみに、日付も七月六日ではなかったらしい。

俵万智さん 「サラダ記念日」記念連続ツイート
更新日:7月6日10時56分

このツイートを読んで、これが短歌というものか……と感動した記憶がある。自分の感情をそのまま歌にするのではなく、いろいろ考えられた末にできたものであると初めて知った。

あらためて関連ツイートを読んでみると、〈丸谷才一先生に初めてお会いしたとき「あれは芭蕉ですね」と言われ、はっとしました。〉という俵万智さんの文章があり、その意図は違うと思うが、芭蕉の話から俵万智さんの歌を思い出した自分と同じような感想を持たれる方がいたことに、少し嬉しくなった。

  • 『おくのほそ道』は、単なる紀行文ではなく、芭蕉による創作が含まれた文学作品
  • 俳句はもともと、滑稽味を楽しむ「俳諧連歌」の上の句が独立したもの
    →芭蕉によって俳句の芸術性が高められた(蕉風開眼)
  • 「古池や 蛙飛こむ 水のおと」の句は、「水の音」以外は芭蕉の「心の世界」を表現したもの

第2回 時の無常を知る

旅先で芭蕉がまず知ったことは、人の営みが、いかにはかないものであるかという現実だった。松島に着いた芭蕉は、その美を流麗な文章でたたえるが、何と自分の句をおくのほそ道に載せなかった。その真意とは何か?さらに北へ進み、平泉に着いた芭蕉は、ひとつの希望を感じることになる。第2回では、無常という現実を芭蕉がどうとらえたかを探る。

名著26 松尾芭蕉『おくのほそ道』:100分 de 名著

長谷川先生は、『おくのほそ道』の構造として、次の4つのテーマに分かれているという。

  • 第一部(江戸―白河):旅の禊
  • 第二部(白河―尿前):みちのくの歌枕の旅
  • 第三部(尿前―市振):宇宙の旅
  • 第四部(市振―大垣):人間界の旅

第1回では、白川までの「旅の禊」について解説されていた。第2回のテーマは「みちのくの歌枕うたまくらである。

まず「歌枕」というのは、和歌などでよく詠まれた場所(名所や旧跡)のことであるが、昔の歌人が実際に訪れて和歌を詠んだわけではない。そのため、こういう場所があるらしいよ~という噂をもとに、想像して歌を詠むことになるので、実際にその場所が存在するとは限らない(多くは想像上のものらしい)。長谷川先生曰く、「歌枕に合わせて現実の場所を後から探す」とのことらしい。

こうなると、歌枕を旅するのが目的だった芭蕉は困ったものである。実際に、和歌で詠まれた場所が廃墟になっていたということが何度もあり、芭蕉はこの世の「無常」を思い知る。

松島を詠んだ句がない理由

みちのくを代表する歌枕である松島を訪れた際は、芭蕉も心躍ったらしく、その美しさを文章で残している。しかし、芭蕉は『おくのほそ道』の中に、自分の詠んだ句を入れなかった。

「松島や ああ松島や 松島や」は、松尾芭蕉が詠んだ句と言われることも多いが、実際は田原坊たわらぼうという江戸時代の狂歌師きょうかし(「狂歌」は滑稽さを取り入れた和歌)の「松島や さて松島や 松島や」から来ているらしい。(参考:レファレンス協同データベース

芭蕉が自分の句を入れなかった理由は、一つはもう文章で松島の美しさを書いているからというのもあるが、もう一つは「松島の美しさを讃えるのに、なまじ句を出すべきではい」と考えたからという。長谷川先生は、歌川広重が描いた頂上が枠からはみ出している富士山の絵を例にして説明する。

この、あえて句を書かないことで松島の美しさを表現したことについて、伊集院光さんが「ゼロ ゼロ ゼロの俳句」と仰っていて、これこそ俳句ないしは芸術の極致なのではないかと思った。趣は少し違うかもしれないが、中島敦『名人伝』の「不射の射」を思い出す。

時の五月雨と光堂

舞台は岩手県・平泉へ。

夏草や つわものどもが 夢の跡

名著26 松尾芭蕉『おくのほそ道』:100分 de 名著(番組内の文章より)

平泉といえば、栄華を極めた奥州藤原氏が源氏と戦い、滅亡した場所である。その地で詠まれたこの句は、学校の古典の授業で習う定番の一句である。

平泉には、大学二年生のときに訪れたことがある。その際に、中尊寺金色堂にも訪問した。学校の歴史や美術の教科書でしか見たことがなかったが、実物を見ると「本当に金色だ……」と当たり前のことしか感じられなかったのは今でも悔やまれる。

四面新に囲て、
いらかを覆て雨風をしのぎ
暫時しばらく千歳の記念とはなれり。

五月雨の 降のこしてや 光堂

名著26 松尾芭蕉『おくのほそ道』:100分 de 名著(番組内の文章より)

番組内で長谷川先生が仰っていた「時間が降り注いで物を朽ちさせていく。その中で光堂だけが残った」という言葉が、とても印象的だった。

  • 『おくのほそ道』の旅の目的は、歌枕(和歌で詠まれる有名な場所)を訪れることだった
  • 松島を訪れた芭蕉は、その美しさを表現するのに句はいらないと考え、自分の句を『おくのほそ道』に入れなかった。
  • 「五月雨の 降のこしてや 光堂」という句は、時の流れが五月雨のように降り注いでいく様を表現したもの。

第3回 宇宙と出会う

芭蕉が山形の山寺で読んだ句「閑さや 岩にしみ入 蝉の声」。蝉の声がうるさいのに、芭蕉はなぜ「しずか」と表現したのか、そこから謎ときを始める。旅の後半、芭蕉の句はさらに進化していった。出羽三山に登った芭蕉は「天の入口に来たかのようだ」と記し、山中で句を読む。大自然の中で芭蕉が感じたものとは何だったのか?第3回では、芭蕉の宇宙観に迫る。

名著26 松尾芭蕉『おくのほそ道』:100分 de 名著

『おくのほそ道』の第三部のテーマは「宇宙の旅」

芭蕉は旅の途中で、人に勧められて予定していなかった場所に行くことになる。それが山寺やまでら立石寺りっしゃくじであった。

セミの声が染み入る岩石

この立石寺にも、平泉を訪れたのと同じ時期に行ったことがある。そのときも、次の芭蕉の句の意味を考えながら、寺の奥を目指して1015段の階段を上っていった。

しずかさや 岩にしみ入 蟬の声

名著26 松尾芭蕉『おくのほそ道』:100分 de 名著(番組内の文章より)

最初にこの句を知って思ったのが、どうして「岩にしみ入る」なのだろう?ということだった。しかしそれは、実際に立石寺に訪れたことで謎は解けた。

立石寺が建つ山寺の地質は、昔の火山活動に由来した堆積物が主体であるらしく、芭蕉句碑や芭蕉増がある根本中堂こんぽんちゅうどうの辺りは「塊状無層理デイサイト質軽石凝灰岩・火山礫凝灰岩」からなっているらしい(参考:『おくのほそ道』の地質学)少し違うかもしれないが、こちらの「軽石火山礫凝灰岩」の写真を見てみると、表面に小さな穴が開いているのが分かる。

山寺の岩々も、表面を見ると小さな穴が開いているの確認することができる、そのため、芭蕉は「岩にしみ入る」とはこの穴にセミの声が吸収されるのを想像したのだろう、と考えた。

それにしても、私がこのように考えることができたのは、音楽室の壁にある小さな穴に吸音効果があるということを知っていたからであり、芭蕉がこれと同じような想像ができていたのだとしたら、それはもう「芭蕉あっぱれ!」としか言いようがない。

芭蕉と音の世界

このように、当時の私は「岩にしみ入」の部分に注目していたが、長谷川先生はこの句で大事なのは「閑や」であるという。

長谷川先生曰く、この「閑や」というのは「現実を越えた宇宙的な閑さ」のことを表しているとのこと。たしかに、セミが鳴く山の中で、目を閉じ耳を澄まして、ゆっくりと呼吸をしていると、一種の瞑想状態になって、周りの音が消え、自分を通して世界とつながった気分になるのも分かる。

「音を聞いて、心の世界が開ける」という点においては、蕉風開眼の句である「古池や」の句と似ているところがある。

  • 古池や 蛙飛こむ 水のおと
  • 閑や 岩にしみ入 蟬の

実際、どちらの句も最初に「や」の切れ字が使われており、「古池」と「閑」が強調されている。そして文末は「水のおと」と「蟬の声」という、どちらも「耳で聞く音」で終わっており、似ている部分がありながらも、よりスケールを大きくした表現となっている。長谷川先生はこの句を「宇宙の世界の入り口にあたる句」と仰っていた。

日光と月山の対比

古来より山伏やまぶし修験道場しゅげんどうじょうとして有名な出羽三山でわさんざん羽黒山はぐろさん月山がっさん湯殿山ゆどのさん)を芭蕉が登った際、その道中を次のように書いている。

八月、月山にのぼる。(略)
雲霧山気の中に
氷雪を踏てのぼる事八里、
更に日月行道の雲関に
入かとあやしまれ、
息絶身こゞえて、
頂上に臻れば、
日没て月顕る。

名著26 松尾芭蕉『おくのほそ道』:100分 de 名著(番組内の文章より)

長谷川先生は「日月行道の雲関に入かとあやしまれ」が一番大事だと仰っており、これは「太陽が月が運行している入口に入って行く」ような感じを表現しているとのこと。これまでの自分の経験の中でそのように感じたことはないが、この芭蕉の視点は壮大な宇宙観をイメージさせる。

そして詠んだのが、次の一句。

雲の峰 幾つ崩て 月の山

名著26 松尾芭蕉『おくのほそ道』:100分 de 名著(番組内の文章より)

これは自分が山を眺めている視点ではなく、「山の中にいる」視点を表してる。太陽や月が通る道と同じ場所を、自分も通っているという視点で詠まれた句である。この句を踏まえて、武内アナが「芭蕉は自由ですね」と言っていたのが、とてもよく理解できる。

  • 雲の峰 幾つ崩て 月の山
  • あらたうと 青葉若葉の 日の光

「雲の峰」の句を、芭蕉が日光を訪れた際に詠んだ句「あらたうと」の句を比較してみると、最後の「月の山」と「日の光」は、月山と日光の間にそれぞれ「の」を入れて崩しており、また「月」と「日」で対照的な関係にある。

また、日光が太平洋側、月山が日本海側に位置しており、それを詠んだ「月の山」と「日の光」の句を対照的に置いているというのがまた、芭蕉の文学的なセンスを感じる。

不易流行と散逸構造

この旅の中で、芭蕉が得た到達したのが不易流行ふえきりゅうこうという考え方だった。

  • 不易=変わらないこと
  • 流行=変わること

これは、長谷川先生曰く常に変わりながら何も変わらないということを意味しているとのこと。「流行」という変わりゆく面白さだけでなく、「不易」という普遍の真理を取り入れることで、より完成された句となる。自然は絶えず変化を繰り返しているが、自然を動かしている大きなエネルギー自体は変わることがない。これらが「不易流行」の本質である。

伊集院光さんが、この「不易流行」の本質を「ファッション」に当てはめて説明していたのはとても納得した。それと同時に、私はこの本質について、イリヤ・プリゴジン博士の散逸構造さんいつこうぞうと一緒ではないかと思った。

「散逸構造」は、自分の中では「非平衡状態において定常状態を保つ構造のこと」であると理解している。つまり、何らかの物質の出入りがあって(非平衡状態)、それでも形を保っている状態(定常状態)のことを「散逸構造」という。

たとえば、お風呂に水をためて栓を抜くと渦ができる。この渦を観察すると、形はほとんど変化していないのにも関わらず、水は時間が経つにつれて下に流れていく。つまり、水自体の出入りがあるものの、渦の形を保ち続けるという点で、これは散逸構造であるといえる。その他にも、台風や炎、そして生物も散逸構造の例として挙げられる。

芭蕉の「不易流行」の「常に変わりながら何も変わらない」という本質は、この「散逸構造」と似ているところがある。つまり、あるものを構成している要素は絶えず変化しているが、そのもの全体は変化していない(ように見える)。もしかしたら理解を取り違えている点もあるかもしれないが、私はそのように「不易流行」を理解した。

立石寺の「閑や」の地質学的洞察にしても、この「不易流行」の「散逸構造」との類似点にしても、芭蕉は科学者としてもやっていけたのではないかと思うほど、本質を見つける嗅覚が鋭いと思った。

  • 「閑や 岩にしみ入 蟬の声」は、「古池や」の句と類似しており、芭蕉の心象風景が句に表現されている
  • 出羽三山で詠まれた「雲の峰 幾つ崩て 月の山」は、「あらたうと」の句と対照的な関係(言葉、位置関係)にある。
  • 「不易流行」は「常に変わりながら何も変わらない」という宇宙の真理を表している

第4回 別れを越えて

東北を離れた芭蕉は、北陸を経て岐阜へと向かう。ここで芭蕉の思索はさらに深まりを見せる。人生は思うようにならない悲惨なものである。その現実を静かに受け止めて、時々めぐってくる幸福を楽しむような、達観した句を作るべきだというのだ。のちに芭蕉は、この境地を「軽み」と称するようになる。第4回では、芭蕉が最後に達した「軽み」とは何かを探る。

名著26 松尾芭蕉『おくのほそ道』:100分 de 名著

『おくのほそ道』の第四部のテーマは人間界の旅

この第四部では、いろんな人との「別れ」が描かれている。

  1. 遊女との別れ(市振)
  2. 一笑との別れ(金沢)
  3. 曾良との別れ(山中)
  4. 北枝との別れ(天龍寺)
  5. 大垣での別れ(大垣)

まず「遊女との別れ」についてであるが、実際は遊女との出会いはなかったらしい。

これは、芭蕉の門人・曾良が旅中に書いた日記には、遊女との出会いは記されていなかったことから言えるとのこと。

哀さしばらく
やまざりけらし。

一家に 遊女もねたり 萩と月

名著26 松尾芭蕉『おくのほそ道』:100分 de 名著(番組内の文章より)

芭蕉が遊女との出会いを”創作”した理由は、長谷川先生曰く「浮世の旅の入り口として、遊女の場面を描いた」とのこと。これまでは「不易流行」を見出した「宇宙の旅」の話であったが、ここからは人との「別れ」を中心とした「浮世の旅」が始まるということを、この場面は示している。

曾良との別れと「軽み」

ここまで芭蕉と旅を共にしてきた曾良であるが、石川県の山中にて、病気のため旅を断念することになった。これが「曾良との別れ」である。

別れの際、曾良が詠んだ句がこちら。

行き行きて たふれ伏とも 萩の原

それに対して、芭蕉の句はこちら。

今日よりや 書付かきつけ消さん 笠の露

曾良の句は、「病気で行き倒れても、萩の原に伏すなら本望です」という感情が直接的に表れた句となっているが、芭蕉の句は、笠に書きつけた同行二人どうぎょうににんという文字を消すという動作を通して、その別れをしっとりと表現している(ちなみに、お遍路などで書きつける「同行二人」は「自分と仏様(弘法大師)」を意味する)。句に言葉しては表れていないものの、この「笠の露」が芭蕉が流した涙であることは言うまでもない。

長谷川先生は、芭蕉は「人生とは別れである」と感じていたのではないか、と仰っている。芭蕉は旅の中で悟った「不易流行」という考え方を浮世にも適用し、「別れ」があっても何も案ずることはないと考えていたのではないかという。それがかるみ(軽み)という概念に通じていく。これは、俳人・一笑いっしょうとの死に別れも大きく影響していたとのこと。

「軽み」というのは、「重み」が理解できていないと出すことはできない。この「重み」というのは、人生の苦しみや悲しみを指す。少し意味は違うかもしれないが「Deep dving, shallow living」という言葉を思い出した。

旅の終わりと再出発

芭蕉がゴールの大垣に着き、親しい人たちからもてなしを受けた後で、伊勢の遷宮を拝もうと再び旅立ちを決意する。その時に詠んだ句がこちら。

蛤の ふたみにわかれ 行秋ぞ

名著26 松尾芭蕉『おくのほそ道』:100分 de 名著(番組内の文章より)

『おくのほそ道』は、この句を最後にして終わる。

  • 行春や 鳥啼魚とりなきうおの 目はなみだ
  • 蛤の ふたみにわかれ 行秋ぞ

「行春や」の句は、江戸で芭蕉が門弟と別れる際に詠んだ句である。この句と比べると、「はまぐりの」の句はひらがなが使われており、やわらかい感じがする。「ふたみにわかれ」というのは「蛤の身とフタが引き裂かれるように別れが哀しい」という意味と、芭蕉がこれから行く伊勢の「二見浦ふたみがうら」が掛かっており、遊びがあって「かるみ」が感じられる表現となっている。

また、伊集院光さんがこの句に関して「貝合わせ(対となる蛤の貝殻を合わせて競う遊び)」について話していたのがとても印象的だった。蛤の貝殻が合うのは決められた一対のみ。つまり、旅の出会いもどこか運命的なところがあり、出会う人はまた出会うし、出会わない人とは出会わない。これは、どこか「不易流行」のような真理が垣間見ることができ、それでいて全く重くない。これこそ、伊集院光さんが仰る通り「軽いけど浅くはない。軽くて深い」という「かるみ」の境地なのだと思った。

ちなみに、「かるみ」が含まれる「蕉風」には他に、「さび」「しをり」「ほそみ」などがあり、これについては『去来抄』が参考になりそう。

  • 「一家に 遊女もねたり 萩と月」が登場する遊女の場面は、芭蕉による創作
    →ここから「浮世の旅」が始まることを示唆
  • 人との別れを通して「かるみ」という価値観を得て、『おくのほそ道』の旅は終了する
  • 『おくのほそ道』は「蛤の ふたみにわかれ 行秋ぞ」の句で締めくくられており、これは冒頭の「行春や」の句と対照的になっている

全体を通して

ひとり旅をしていると、訪れた場所でよく芭蕉の句を見かける。

番組を見るまでは「芭蕉は、俳諧を芸術の域まで高めた人物」という知識しかなかったが、芭蕉の俳句の芸術性がどのようなものなのかを、少しだけ理解できたような気がする。

時には心に浮かぶ世界を詠んだり、句を詠まないことで美しさを表現したり、自分の心を通じて世界の在り方を表現する。その中に、旅の道中で至った「不易流行」という考え方や、人との別れを通して至った「かるみ」という感性が反映されており、思っていた以上に、俳句が思想の詰まった文化なのだということを知ることができた。

『おくのほそ道』は、まだ全体的に読んだことはないが、この番組を見るだけでだいぶ理解が深まった。さらに興味が出たので、まずは長谷川先生の下の本を読んでみたいと思う。