『世界でいちばん透きとおった物語』の仕掛けに気付いた瞬間、あまりの衝撃で鳥肌が立ち、大きなため息をついてしまいました。
「これはやられたな……」
X(旧Twitter)で「ネタバレ厳禁」という情報が流れてきたので、「これは早めに読まないといけないやつだ」と思い、即購入しました。
「紙の本でしかできない体験」とも書かれていたので、「それはもうネタバレでは?」と思っていましたが、予想以上に『透きとおっ』ていて驚きました。
直接的なネタバレは避けていますが、物語の中心部分に触れていますのでご注意ください。
『世界でいちばん透きとおった物語』のあらすじ
衝撃のラストにあなたの見る世界は『透きとおる』。
大御所ミステリ作家の宮内彰吾が死去した。宮内は妻帯者ながら多くの女性と交際し、そのうちの一人と子供までつくっていた。それが僕だ。「親父が『世界でいちばん透きとおった物語』という小説を死ぬ間際に書いていたらしい。何か知らないか」宮内の長男からの連絡をきっかけに始まった遺稿探し。編集者の霧子さんの助言をもとに調べるのだが――。予測不能の結末が待つ、衝撃の物語。
『世界でいちばん透きとおった物語』裏表紙のあらすじより
- 著者:杉井光
- 出版社:新潮社
- 発売日:2023/4/26
- 新潮文庫nex
- 文庫:240ページ
Source:新潮社
『世界でいちばん透きとおった物語』の著者について
杉井光(Sugii Hikaru)
電撃小説大賞の銀賞を受賞し、2006(平成18)年電撃文庫『火目の巫女』でデビュー。その後電撃文庫「神様のメモ帳」シリーズがコミカライズ、アニメ化。ライト文芸レーベルや一般文芸誌で活躍。他の著書に「さよならピアノソナタ」シリーズ、「楽園ノイズ」シリーズ、『終わる世界のアルバム』、『蓮見律子の推理交響楽 比翼のバルカローレ』などがある。
『世界でいちばん透きとおった物語』の著者紹介より
「神メモ」の作者さんだったのか!
『世界でいちばん透きとおった物語』の感想(ネタバレを含みます)
正直なところ、読む前から「透きとおっているんだろうなぁ」とは思っていました。
「”紙の本でしか”体験できない感動」「電子書籍化絶対不可能」と書かれていたら、なんとなく予想がつきそうなところ。
しかし、実際に読み終えて予想以上に『透きとおっ』ていて驚きました。
「書こうとした本当の動機は、ただ、面白そうだから。読者を驚かせる仕掛けを、思いついてしまったから」
『世界でいちばん透きとおった物語』杉井光 215頁
本書の主人公の父・宮内彰吾も、そして杉井先生ご自身も、この小説を書こうと思ったきっかけは「読者を驚かせる面白い仕掛けを思いついてしまったから」なのだと思います。
(でないと、こんな骨の折れる作業やってられない……)
「書かずにはいられなかった。そういう意味では、燈真さんのための物語ですらなかったのかもしれません」
『世界でいちばん透きとおった物語』杉井光 216頁
本書について、杉井先生はこのようにコメントしています。
これまでの読書人生において一度だけ、読み終わった後にただ言葉を失うしかなかった、という本がありました。それに匹敵する純粋に強烈な読書”体験”を、読者にぶつけてみたい。そんな想いでこのアイディアをプロットに落とし込み、多くの方々の協力を得て本の形にしました。出版できたこと自体がすでにひとつの奇蹟です。
“電子書籍化絶対不可能” “ネタバレ厳禁”のしかけで20万部突破!10~20代にまで広がる異例のヒットを記録〈杉井光『世界でいちばん透きとおった物語』〉|株式会社新潮社のプレスリリース
このお言葉の通り、私にとってはガツン!と来る強烈な読書体験となりました。
上のコメント中の「これまでの読書人生において一度だけ、読み終わった後にただ言葉を失うしかなかった、という本」というのは、本書の最後にある献辞での「A先生」の作品だと考えられます。
下の記事では、紙で読みたいミステリー小説が5冊紹介されており、本書もそのうちの1冊として紹介されています。
そこに並んで、A先生の作品も2冊紹介されていました。私も未読の作品なので内容が気になります。
心臓を刺す言葉
「燈真さんは、言葉で心臓を刺せる人ですね」(後略)
『世界でいちばん透きとおった物語』杉井光 105頁
本書の主人公・藤阪燈真に対して、編集者の深町霧子さんはこう言っていましたが、私も同じことを思いました。本書には、燈真が残した名言がよく登場します。
たとえば、霧子さんのことを「ブレーキだけついていない高級車みたいな人」(11頁)といったり、母親の恵美のことを「泣き顔と笑い顔を入れ替えられてしまった人」(15頁)というのは、面白い表現だなと思いました。
僕よりも母の喜びようがたいへんなものだった。僕の頬を両手で包んで、よかった、よかった、と呟いて涙を浮かべた。泣くときでさえ、いつもの微笑みを浮かべていた。
『世界でいちばん透きとおった物語』杉井光 15頁
嬉しい時にしか泣けない人なのだ。
だから哀しい時にしか笑えないのだ。(後略)
また、特に印象に残ったのがこちらの表現です。
小説を書くという事は祈りに似ていた。そして他のどんな営みにも似ていなかった。
『世界でいちばん透きとおった物語』杉井光 223頁
言葉や想いを届ける相手を選べない。届くかどうかもわからない。
それでもどうしようもなく、書き続けてしまう。
相手に伝わることで、初めて「言葉」になる。「小説を書く」という行為を「祈り」に喩える感性は、さすが小説家の息子と言いたくなります。
きっと顔だけでなく、才能も父親から受け継いでいるのだと思います。それを本人がどう思うかは分かりませんが。
宮沢賢治『小岩井農場』の考察
洋書の翻訳本などでよく見かける、最初のページ引用されている短い詩や文章のことを「エピグラフ」と呼ぶそうです。
本書には、エピグラフとして宮沢賢治の詩『小岩井農場』パート九の一部が引用されています。
すべてさびしさと悲傷とを焚いて
『世界でいちばん透きとおった物語』杉井光 3頁
ひとは透明な軌道をすすむ
ラリツクス ラリツクス いよいよ青く
雲はますます縮れてひかり
わたくしはかつきりみちをまがる
『小岩井農場』は、宮沢賢治の詩集『春と修羅』第1集に収録されている詩です。
この詩を最初に読んだときに「ラリツクス」は「リラックス」の誤りでは? と思いましたが、そんなことはありませんでした。
「ラリツクス」は英語で書くと「Larix」であり、カラマツ属(落葉松属)を表しているそうです。
上の詩の「すべてさびしさと悲傷とを焚いて ひとは透明な軌道をすすむ」は、『世界でいちばん透きとおった物語』の結末とよくリンクしていると思います。
ここからは私の勝手な想像ですが、さらに考察を深めていきます。
上のエピグラフの「雲はますます縮れてひかり」という文章は、『春と修羅』に収められている『屈折率』という詩の「向ふの縮れた亜鉛の雲へ」という表現と似ています。
七つ森のこつちのひとつが
青空文庫 | 宮沢賢治 『春と修羅』
水の中よりもつと明るく
そしてたいへん巨きいのに
わたくしはでこぼこ凍つたみちをふみ
このでこぼこの雪をふみ
向ふの縮れた亜鉛の雲へ
陰気な郵便脚夫のやうに
(またアラツデイン 洋燈とり)
急がなければならないのか
この詩の「洋燈」は「ランプ」と読み、そういえば「燈」という文字は主人公の名前にも使われていることに気づきました。
これは勝手な想像ですが、主人公の名前が「燈真」なのは、最終的に主人公が『世界でいちばん透きとおった物語』という作品に燈を灯す存在であることを示しているからだと思います。
ランプのように「燈」を灯して「真実」を照らし出す。それが主人公・藤阪燈真の役割なのではないでしょうか。
さらに、「透明」「屈折率」と並んだら、自然と連想されるのが「レンズ」という単語ですが、実はこれは『小岩井農場』パート三に登場しています。
この荷馬車にはひとがついてゐない
青空文庫 | 宮沢賢治 『春と修羅』
馬は払ひ下げの立派なハツクニー
脚のゆれるのは年老つたため
(おい ヘングスト しつかりしろよ
三日月みたいな眼つきをして
おまけになみだがいつぱいで
陰気にあたまを下げてゐられると
おれはまつたくたまらないのだ
威勢よく桃いろの舌をかみふつと鼻を鳴らせ)
ぜんたい馬の眼のなかには複雑なレンズがあつて
けしきやみんなへんにうるんでいびつにみえる……
「ぜんたい馬の眼のなかには複雑なレンズがあつて けしきやみんなへんにうるんでいびつにみえる……」というのは、馬の眼の構造についての説明です。
馬の眼球は球体ではなく、少し歪んだ形状をしており、焦点の合わせ方が人間とは少し異なるとのこと(参考)。
景色がいびつに視えるというのは、燈真の病気と同じです。幼い頃の病気で眼に後遺症が残り、他の人とは違って視えています(※)。
このように、宮沢賢治『小岩井農場』には『世界でいちばん透きとおった物語』の設定の一部が隠されており、非常に効果的なエピグラフであることがわかります。
(※)ここで、主人公の名前が「燈真」ではなく「燈馬」なら、この考察がバッチリ当てはまると思うのですが、そう都合よくはいきませんでした。
電子書籍化不可能の「 」
作品全体に仕掛けられたギミックに気付いた瞬間、私は鳥肌が立ち、「まじか、やられた……」と大きくため息をついてしまいました。
しかし、本書に隠された仕掛けはそれだけではありませんでした。
どれほど限りなく透きとおって見える海でも、必ず底がある。
『世界でいちばん透きとおった物語』杉井光 233頁
まっさらな砂が降り積もっている。そこに言葉を埋めておくこともできる。けれど物語は言葉を届けるためにはできていない。祈りと同じで、届ける相手を選べないからだ。ただ密やかに、水底で待ち続けるだけ。
小説という海には必ず底があり、本書にも『透きとおっ』たページが降り積もった奥底に、届けたかった言葉が埋められていました。
父がどんな言葉を沈めておこうとしたのかは、もうわからない。だからこれは、僕自身の選択だけれど、きっと父も同じ一語を選ぶはずだったと思う。
『世界でいちばん透きとおった物語』杉井光 233頁
本書が「絶対電子化不可能」と言われる理由が、この最後のページの仕掛けにあります。
読者が燈真と同じ体験ができるように、この本は必ず紙でなければならない。燈真は電子書籍だと快適に読めてしまうので、それではダメなのです。
でももし、電子書籍化が実現するとしたら、それはどのような読書体験になるでしょうか?
「ありがとう」
それでもきっと、この物語は『透きとおっ』ているんだろうなと、目を閉じて想像してみたり。
最後まで読んでくださり、ありがとうございました!
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