「頑張らないことを頑張る」という言葉は、一見すると矛盾しているように感じる。
頑張らないとやりたいこともできないし、頑張らないと幸せになれないと私たちは考えがちである。
しかし、実際は頑張っても上手くいかないことも多い。中には、頑張ってしまうことで上手くいかないことすらある。
そこで使われるのが「頑張らないを頑張る」という言葉だ。何事も無理することなく、ゆる~くやっていこう、という意味が込められている。
ただ、だからといって本来頑張るべきことを「頑張らない」でいても、問題は何も解決されない。
重要なのは、「頑張るべきこと」と「頑張らなくていいこと」を分けること。
そして、「頑張らなくていいことを全力で頑張らない」ことが大事なのだ。
Easy Revenge!
「Easy Revenge!」
(気楽に復讐を!)
これは、漫画『チェンソーマン』に登場するエロかっこいいお姉さん・姫野先輩が、クールな黒髪イケメンのアキくんに贈った言葉。
ちなみにアキくんは、家族を殺した悪魔に復讐することだけを考えて生きている悲劇の青年だ。
強い憎しみから生まれる「復讐」という行為は、当事者以外の人間に止められるものではない。
それでも、アキくんに復讐だけの人生ではなく、「もっと他にも目を向けなよ」という姫野先輩の想いが、この「Easy(気楽に)」には込められている。
「復讐はお気楽に」という意味での「Easy Revenge!」。
Don’t try.
最近読んだ本の中で、チャールズ・ブコウスキーという作家を知った。
「酔いどれ詩人」とも呼ばれていた彼の墓石には、力強いファイティングポーズとともに、次の言葉が刻まれている。
「Don’t try」
(頑張るな)
私は、このブコウスキーの碑銘を知って、すぐに姫野先輩のことを思い出した。
姫野先輩の言葉はアキくんだけに向けられたものだったけど、このブコウスキーの言葉は違う。
「頑張るな」
これは、我々すべてに向けて遺された言葉だ。
酔いどれ詩人・ブコウスキーが遺した言葉「Don’t try」(頑張るな)。
頑張らないを頑張る
「頑張らないを頑張る」という言葉がある。
これは特に、真面目な人や完璧主義の人に対して「無理することなく、ほどほどに行動することを心掛けよう」という意味で使われる印象がある。
実際、真面目な人は何事にも全力で取り組むので、一人で空回りしたり、余計なストレスを感じて疲れてしまうことも多い。
また、周りの人にどう思われているかを気にしやすいので、必要以上に気を遣ってしまい、それによっても精神が削られてしまう。
だから、そういう人に対して、少し落ち着いて「頑張りすぎている」自分を見つめ直し、自分に無理をさせないためにも「頑張らない」でいよう、というのが「頑張らないを頑張る」に込められた意味だと思う。
しかし、現実的には、誰もが「頑張らないを頑張る」ことができるとは限らない。
「頑張らないを頑張る」という言葉は「無理せず、ほどほどに行動しよう」という意味で使われる。
頑張らないを頑張れない人たち
世の中には、頑張らないを頑張れない人が存在する。
どういう人かというと、先ほど登場した真面目でしっかりしている人や、完璧主義の人たちである。
彼らは、自分が全力で何かに取り組み、その成果が得られた瞬間に喜びを感じる生き物だ。
頭の中にある理想を実現するためなら、どんな労力もいとわない。
「完璧な成果」を手に入れるために、彼らは必要以上に頑張り過ぎてしまう。
つまり、彼らは「頑張る」ことが好きなのだ。厳密に言うと、頑張った先にある「完璧な成果」を手に入れることが、彼らにとっての喜びなのだ。
こういう人たちに「頑張らないを頑張ろう」と言ったらどうなるか?
彼らは、「頑張れない」ことにストレスを感じるようになる。
自分が「頑張らない」ことで、自分の理想に手が届かないことにストレスに感じる。
「頑張る」ことが好きな彼らにとって、「頑張らないを頑張る」ことは苦痛でしかないのだ。
真面目で完璧主義な人は、頑張らないを頑張ることができない。
「何を頑張るか」を選ぶこと
さて、前置きが長くなってしまったが(本当に長い)、ここからが本題である。
結局何が言いたいのかというと、「頑張らないを頑張る」という言葉は、「自分が頑張るべきものだけを選んで、それ以外は全力で頑張らないこと。それを徹底して生きていくこと」という意味だということ。
「頑張らないを頑張る」という言葉の「頑張らない」というのは、決して「全部のことを頑張らない」という意味ではない。自分がやりたいことを「頑張らない」のは、何の解決にもならないからだ。
重要なのは、今の自分が抱えている問題を「頑張るべきこと」と「頑張らなくていいこと」に分けること。
そして「頑張るべきことだけを頑張り」、「頑張らなくていいことを全力で頑張らない」のが大切だ。
その上で、後者の「頑張らなくていいことを全力で頑張らない」ことを「頑張る」のが、「頑張らないを頑張る」の本当の意味ではないだろうか。
「頑張らないを頑張る」の本当の意味は、「自分が頑張るべきものだけ頑張って、それ以外は全力で頑張らない」ということ。
「気にすること」が多い世の中
だんだん言葉遊びみたいになってきたが、要するに、「どうでもいいことに対しては、『頑張らないを頑張る』のが大事」ということが言いたかった。
この考え方は、マーク・マンソン氏の『その「決断」がすべてを解決する』という本を読んで感じたことだ(ちなみに、ブコウスキーを初めて知ったのもこの本)。
マンソン氏は、「人間は気にしないではいられない生き物だ」と述べている。それでいて「何を気にするか?」を選び取ることが大事だと言っている。
ここで問題なのは、「何を気にするか?」ということ。何を選んで気にしているか。そして、結局はどうでもいいことに対して、どうやって気に病まないでいられるか。
『その「決断」がすべてを解決する』マーク・マンソン
現代社会では、普通に生きているだけでも、気にしなければいけないことが山ほどある。
特に日本は「察する」「空気を読む」という風潮が強く、常に何かを気にして生きている状態だ。
これの何が問題かというと、「本来は気にしなくていいものまで気にしてしまっている」ということだ。
もし自分にやりたいことがあったとしても、自分の年齢や能力、周りからどう思われるか、他の人と違った道を歩む恐怖など、一度考えたら無限に「不安の種」は増殖していく。
しかし、たとえそんな状況だったとしても「不安の種なんて蹴散らしてしまえ」というのが、マンソン流の考え方だ。
ほかと違っていることや、社会から見放されること、のけ者になること——そういう状態を自分自身の価値観のために進んで受け入れること。失敗を目の前に突きつけられても、それから目をそらさずに、逆に中指を突き立ててみせる気概のこと。逆境や失敗や、恥をかくことなんか、気にも留めない人たちのこと。ただ笑い飛ばして、ともかく自分の信じるとおりのことをする、そういう人たち。
『その「決断」がすべてを解決する』マーク・マンソン
どうでもいいことを頑張らない一方で、頑張るべきことに対しては全力投球する。そんな人間を目指そうとマンソン氏は言う。
彼らがそうするのは、それが正しいと知っているから。そのことが自分の気持ちやプライドやエゴよりも重要なことだと知っているからだ。
『その「決断」がすべてを解決する』マーク・マンソン
あえてこのタイミングで補足するが、このマンソン氏の本の原題は、“The Subtle Art of Not Giving a F*ck”(直訳すると「クソみたいなことを気にしないちょっとした方法」)である。これを踏まえて、次の引用に続く。
彼らの言う「クソッタレ」は、人生の何もかもに向かってではなく、むしろ、人生の中の重要ではないものすべてに向かっている。彼らは、むやみやたらに気を回さず、本当に大切なものだけを気にする。友だち、家族、目標。(中略)自分にとって大事なことだけを気にするようにしているから、人からもまた気にしてもらえるようになる。
『その「決断」がすべてを解決する』マーク・マンソン
先に述べた「人間は気にしないではいられない生き物だ」というのは、ある意味で真理だと思う。
「自分にとって大事なものを気にする」のは、とても大切なことだ。それが生きる意味になり、自分の人生をより豊かにしてくれる。
そして、それと同じくらい、「自分にとってどうでもいいことを気にしない」ことが重要だ。これは簡単そうに見えて、実はとても難しい。だから頑張らなければいけない。「気にしないことを頑張る」のだ。
「どうでもいいこと」を頑張らない。つまり、「どうでもいいことを気にしないこと」を頑張る。
Don’t try!
さて、本題に触れることができたので、あらためて冒頭の話に戻るとしよう。
「酔いどれ詩人」と呼ばれたブコウスキーの墓石には「Don’t try」(頑張るな)と書かれていた。
これは、私は「生きるのを頑張るな!」と言っているのではないかと思った。
生きるのを頑張ろうとすると、そこに意味や意義を求めることになる。しかし、その答えを出すのはとても難しい。
なぜ自分は生きているのだろう?
生きる意味が分からない。
生きる価値が見出せない。
どうして自分は生まれてきたのだろう?
これらは言ってしまえば「どうでもいいこと」なのだ。本当はもっとやるべきことはあるし、きっとやりたいこともあるはずだ。でも、人間は気にしてしまう生き物だから、いろいろ考えてしまう。
そんな「クソみたいなどうでもいいこと」全部に対して、ブコウスキーは「頑張るな!」と言っているのではないか。
「意地でも真面目には生きないぞ!」という決意が、ブコウスキーの墓石のファイティングポーズに表れているのではないか。
実際に彼は、有名になった後も自分の「頑張るべきこと」だけを頑張って(もちろん、どうでもいいことは頑張らずに)、最後まで自分に正直に生きたのであった(何を頑張ったのかは、自分で調べてみてください)。
ブコウスキーは「一生懸命に生きるな!」と言いたかったのではないか。
Easy Living!
自分にとっての「生きる意味」を考えることは、決して悪いことではない。むしろ大事なことだと思う。
私も「生きる意味」を求めて本を読みあさり、答えが見つからずに苦悩していた。今も心のどこかで、意味を求めている自分がいるのを感じる。
でも、いつもそれだけを考えていると少し疲れてしまう。
遠くから「もっと他にも目を向けなよ」という姫野先輩の声が聞こえてくるような気がする。
復讐からは何も生まれない。それと同じだとは言えないけど、生きる意味に執着していても、何も生まれないと思う。
「Easy Living!」
気楽に生きよう!
ここまで読んでくれた方、そして私自身に向けて、この言葉を残したい。
生きる意味にとらわれ過ぎず、気楽に生きよう!(Easy Living!)
参考図書
文中で引用したマーク・マンソン氏の著書は、邦訳『その「決断」がすべてを解決する』が出ているものの、文章が上品に翻訳されているため、原著の雰囲気を味わいたい方はぜひ”The Subtle Art of Not Giving a F*ck”を読まれることをオススメします。
冒頭で少し触れた『チェンソーマン』は、世の中の常識も倫理観も人間性もぶっ飛んだ作品を読みたい方にオススメです。伏線が多く、考察も楽しめます。
また、同じ作者(藤本タツキ先生)の作品でご紹介したいのが『さよなら絵梨』です。1巻で完結するのでさらっと読めます。こちらも色々ぶっ飛ばしたいときに読むのがオススメです。