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「頑張らないことを頑張る」の本当の意味とは

ライフハック
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「頑張らないことを頑張る」という言葉は、一見すると矛盾しているように感じます。

頑張らないとやりたいこともできないし、頑張らないと幸せになれないというのが、一般的な考え方です。

しかし、実際は頑張っても上手くとは限りません。それどころか、頑張ってしまうことで上手くいかないことすらあります。

そんなときに持ち出されるのが「頑張らないを頑張る」です。何事も無理することなく、ゆる~くやっていこう、という意味が言葉に込められています。

でも、だからといって本当に頑張るべきことを「頑張らない」でいたとしても、問題は何も解決されません。

重要なのは、「頑張るべきこと」と「頑張らなくていいこと」を分けること。

そして、「頑張らなくていいことを全力で頑張らないこと」が大事なのです。

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頑張らないを頑張る

「頑張らないを頑張る」という言葉があります。

これは特に、真面目な人や完璧主義の人に対して「無理することなく、ほどほどに行動することを心掛けよう」という意味でよく使われます。

実際、真面目な人は何事にも全力で取り組むので、一人で空回りしたり、余計なストレスを感じて疲れてしまうことが多くあります。

必要以上に周りの人に気を遣ってしまい、その結果、自分の精神が削られてしまうこともあります。

そういう人たちに対して、「頑張りすぎている」自分を見つめ直し、自分に無理をさせないためにも「頑張らないでいよう」というのが、「頑張らないを頑張る」に込められた意味です。

しかし、現実的には、誰もが「頑張らないを頑張る」ことができるとは限りません。

「頑張らないを頑張る」という言葉は「無理せず、ほどほどに行動しよう」という意味で使われる。

頑張らないを頑張れない人たち

世の中には、頑張らないを頑張れない人が存在します。

どういう人かというと、先ほど登場した真面目でしっかりしている人や、完璧主義の人たちです。

彼らは全力で何かに取り組み、その成果が得られた瞬間に喜びを感じる生き物です。

頭の中にある理想を実現するためなら、どんな努力もします。

「完璧な成果」を手に入れるために、彼らは必要以上に頑張り過ぎてしまいます。

つまり、彼らは「頑張る」ことが好きなのです。厳密には、頑張った先にある「完璧な成果」を手に入れることが、彼らにとっての喜びなのです。

こういう人たちに「頑張らないを頑張ろう」と言ったらどうなるでしょうか?

彼らは「頑張ない」ことにストレスを感じるようになります。

自分が「頑張ない」ことで、自分の理想に手が届かないことにストレスに感じます。

そう、「頑張る」ことが好きな彼らにとって「頑張らないを頑張る」ことは苦痛でしかないのです。

真面目で完璧主義な人は、頑張らないを頑張ることができない。

「何を頑張るか」を選ぶこと

さて、前置きが長くなりましたが、ここからが本題です。

結論として言いたいことは、「頑張らないを頑張る」という言葉は、「自分が頑張るべきものだけを選んで、それ以外は全力で頑張らないこと。それを徹底して生きていくこと」を意味するということです。

「頑張らないを頑張る」という言葉の「頑張らない」というのは、決して「全部のことを頑張らない」という意味ではありません。

自分がやりたいことを「頑張らない」のは、何の解決にもならないからです。

重要なのは、今の自分が抱えている問題を「頑張るべきこと」と「頑張らなくていいこと」に分けること。

そして「頑張るべきことだけを頑張り」、「頑張らなくていいことを全力で頑張らない」のが大切です。

その上で、後者の「頑張らなくていいことを全力で頑張らない」ことを「頑張る」のが、「頑張らないを頑張る」の本当の意味ではないでしょうか。

「頑張らないを頑張る」の本当の意味は、「自分が頑張るべきものだけ頑張って、それ以外は全力で頑張らない」ということ。

「気にすること」が多い世の中

だんだん言葉遊びみたいになってきましたが、要するに「どうでもいいことに対しては、『頑張らないを頑張る』のが大事」ということです。

この考え方は、マーク・マンソン氏の『その「決断」がすべてを解決する』という本を読んで思ったことです。

マンソン氏は、「人間は気にしないではいられない生き物だ」と述べています。それでいて「何を気にするか?」を選び取ることが大事だとも言っています。

ここで問題なのは、「何を気にするか?」ということ。何を選んで気にしているか。そして、結局はどうでもいいことに対して、どうやって気に病まないでいられるか。

『その「決断」がすべてを解決する』マーク・マンソン

現代社会では、普通に生きているだけでも、気にしなければいけないことが山ほどあります。

特に日本は「察する」「空気を読む」という風潮が強く、常に何かを気にして生きている状態です。

つまり、「本来は気にしなくていいものまで気にしてしまっている」ということです。

もし自分にやりたいことがあったとしても、自分の年齢や能力、周りからどう思われるか、他の人と違った道を歩む恐怖など、一度考えたら無限に「不安の種」は増殖していきます。

しかし、たとえそんな状況だったとしても「不安の種なんて蹴散らしてしまえ」というのが、マンソン流の考え方です。

ほかと違っていることや、社会から見放されること、のけ者になること——そういう状態を自分自身の価値観のために進んで受け入れること。失敗を目の前に突きつけられても、それから目をそらさずに、逆に中指を突き立ててみせる気概のこと。逆境や失敗や、恥をかくことなんか、気にも留めない人たちのこと。ただ笑い飛ばして、ともかく自分の信じるとおりのことをする、そういう人たち。

『その「決断」がすべてを解決する』マーク・マンソン

どうでもいいことを頑張らない一方で、頑張るべきことに対しては全力投球する。そんな人間を目指そうとマンソン氏は言います。

彼らがそうするのは、それが正しいと知っているから。そのことが自分の気持ちやプライドやエゴよりも重要なことだと知っているからだ。

『その「決断」がすべてを解決する』マーク・マンソン

ちなみに、この本の原題は“The Subtle Art of Not Giving a F*ck”(直訳すると「クソみたいなことを気にしないちょっとした方法」)です。これを踏まえて、次の引用に続きます。

彼らの言う「クソッタレ」は、人生の何もかもに向かってではなく、むしろ、人生の中の重要ではないものすべてに向かっている。彼らは、むやみやたらに気を回さず、本当に大切なものだけを気にする。友だち、家族、目標。(中略)自分にとって大事なことだけを気にするようにしているから、人からもまた気にしてもらえるようになる。

『その「決断」がすべてを解決する』マーク・マンソン

先に述べた「人間は気にしないではいられない生き物だ」というのは、ある意味で真理だと思います。

「自分にとって大事なものを気にする」のは、とても大切なことです。それが生きる意味になり、自分の人生をより豊かにしてくれます。

そして、それと同じくらい「自分にとってどうでもいいことを気にしないこと」は重要です。

これは簡単そうに見えて、実はとても難しいことです。だから頑張る必要があります。「気にしないことを頑張る」のです。

「どうでもいいこと」を頑張らない。つまり、「どうでもいいことを気にしないこと」を頑張る。

気楽に生きよう!(Easy Living!)

自分にとっての「生きる意味」を考えることは、決して悪いことではありません。むしろ大事なことだと思います。

私も「生きる意味」を求めて本を読みあさり、答えが見つからずに苦悩していた時期がありました。今も心のどこかで、意味を求めている自分がいるのを感じます。

でも、いつもそれだけを考えていると疲れてしまいます。

「Easy Living!」
 気楽に生きよう!

ここまで読んでくれた方、そして私自身に向けて、この言葉を残したいと思います。

生きる意味にとらわれ過ぎず、気楽に生きよう!(Easy Living!)

参考図書

文中で引用したマーク・マンソン氏の著書は、邦訳『その「決断」がすべてを解決する』が出ているものの、文章が上品に翻訳されているため、原著の雰囲気を味わいたい方はぜひ”The Subtle Art of Not Giving a F*ck”を読まれることをオススメします。

えのきつね
えのきつね

最後まで読んでくださり、ありがとうございました!
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