《富は海水に似ている。飲めば飲むほどのどが渇く》は、ドイツの哲学者・ショーペンハウアーの言葉です。
人生の本質をつくこの名言は、どこから生まれた言葉なのでしょうか?
今回は、このショーペンハウアーの名言《富は海水に似ている。飲めば飲むほどのどが渇く》の出典について調べてみました。
ショーペンハウアーの名言
アルトゥール・ショーペンハウアー(1788-1860)はドイツの哲学者であり、主著は『意志と表象としての世界』です。
今回の名言は、こちらの記事を読んで出会った言葉です。
ショーペンハウアーは、「富は海水に似ている。飲めば飲むほどのどが渇く」と『幸福論』に書いています。富を求めてもいい、しかし、求めるほど渇望感が増し、苦しくなるだけだよというのです。
「老後のお金の不安」をショーペンハウアーが一刀両断! (2ページ目):日経xwoman
この記事を読んで「富を海水でたとえるのは上手いなぁ」と感じ、この言葉の出典が何なのか気になりました。
ちなみに、日本語以外の翻訳は以下の通りです。
- 日本語:富は海水に似ている。飲めば飲むほどのどが渇く。名声も同じである。
- 英語:Wealth is like sea-water; the more we drink, the thirstier we become; and the same is true of fame.
- ドイツ語:Der Reichthum gleicht dem Seewasser: je mehr man davon trinkt, desto durstiger wird man.— Das Selbe gilt vom Ruhm.
今回は、こちらの名言の出典について調査していきます。
《富は海水に似ている~》出典調査の結果
結論として、ショーペンハウアー著『余録と補遺』に収録されている『人生の知恵のためのアフォリズム』に当該の名言が確認されました。
『余録と補遺』(原題『Parerga und Paralipomena』)はドイツ語で書かれているため、確認されたのはドイツ語の《Der Reichthum gleicht dem Seewasser: je mehr man davon trinkt, desto durstiger wird man.》です。
ちなみに『人生の知恵のためのアフォリズム』(原題「Aphorismen zur Lebensweisheit」)はこちらのリンクから閲覧可能です。
ここからは、今回の調査過程について詳しく書いていきます。
《富は海水に似ている~》出典調査のプロセス
まず、名言を知るきっかけとなったこちらの記事に、ショーペンハウアー著の『幸福論』に書かれているとの情報がありました。
この『幸福論』とは、ショーペンハウアー著『人生の知恵のためのアフォリズム』だと思われます。
ここで、前回ショーペンハウアーの名言《運命がカードを混ぜ、われわれが勝負する》の出典調査で利用したInternet Archiveの書籍内を調べることにしました。
▶《運命がカードを混ぜ、われわれが勝負する》の出典調査の記事はこちら
Internet Archiveの書籍内検索
Internet Archiveの書籍のリンクはこちらです。
さっそく、《富は海水に似ている~》のドイツ語《Der Reichthum gleicht dem Seewasser: je mehr man davon trinkt, desto durstiger wird man.》を書籍内を検索してみます。
すると、書籍上の51ページに検索ワードの一部と一致する箇所を発見しました。
Der Reichthum gleicht dem Seewasser: je mehr man davon trinkt, desto durstiger wird man.— Das Selbe gilt vom Ruhm.
Schopenhauers Aphorismen zur Lebensweisheit (Page 50): Schopenhauer Internet Archive
富は湖水のようなもので、飲めば飲むほど喉が渇く。名声も同じである。
DeepLで翻訳すると、調査対象の名言であることが確認できました。
《富は海水に似ている~》意味を考える
ここからは、光文社古典新訳文庫のショーペンハウアー著『幸福について』をもとに、《富は海水に似ている。飲めば飲むほどのどが渇く》の意味を考えていきたいと思います。
以下は、《富は海水に似ている~》の前に登場する文章です。
財産に関する願望はどこまでが道理にかなったものなのか、その限界を定めるのは不可能とまでは言わないが、困難だ。なぜなら、財産に関する各人の満足は絶対量ではなく、単なる相対的な量、すなわち要求と財産のバランスに基づくからである。したがって財産のみを切り離して考察しても、分数における分母のない分子をながめるようなもので、無意味だ。
ショーペンハウアー『幸福について』鈴木芳子 訳、光文社(2018)初版第1刷、P.73 [第三章 「その人は何を持っているか」について]
なるほど……、これを図を使って説明してみると以下の通りです。
つまり、所有における満足度は絶対量ではなく相対量で決まります。自分がどれだけの量を持っているか、ではなく、自分が欲しいと思ったもののうち、どれだけ所有(達成)できたかという割合で決定されます。
「分数における分母のない分子」というのは、所有における満足度において、分母にあたる自分の「欲しいもの」を考えることなく、自分の「持っているもの」だけを考えることであり、ショーペンハウアーはそれが無意味だと言っています。
だから金持ちの莫大な財産が貧しい人々を悩ませることはなく、いっぽう金持ちは目論みが外れると、すでに持っている巨万の富にすら慰めを見出せない。富は海水のようなもので、飲めば飲むほど、のどがかわく。これは名声にもあてはまる。
ショーペンハウアー『幸福について』鈴木芳子 訳、光文社(2018)初版第1刷、P.73 [第三章 「その人は何を持っているか」について]
(色付き太字筆者)
つまり、貧乏人は莫大な財産を持たないので、それによって悩まされることはなく、一方で金持ちは所有する財産よりも多くのものを望むために、今どれだけ所有していたとしても、それらによって慰められることはありません。
これらを端的に表したのが、《富は海水に似ている。飲めば飲むほどのどが渇く》という言葉です。
まとめ
今回はショーペンハウアーの名言《富は海水に似ている。飲めば飲むほどのどが渇く》の出典を調査し、その記載を確認することができました。
本ブログでは、ショーペンハウアーの他の名言の出典調査を行っています。もしお時間があれば覗いてみてください。
▶《運命がカードを混ぜ、われわれが勝負する》の出典調査
▶《賢さの次には勇気が私たちにとっての甚だ大切な特質である》の出典調査
最後まで読んでくださり、ありがとうございました!
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