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終わらない卒論発表はない

エッセイ
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この記事の文章は、私が大学4年生のときに、卒論発表を終えてすぐに書いたものです。

当時、理系の大学生だった私は、卒論に必要な実験データがギリギリまで得られず、他にも予想外の出来事が次々と重なりました。その結果、卒論発表は散々なものになりました。

身体的にも精神的にもボロボロでした。それでも逃げ出さずに発表までたどり着けたのは、「卒論 中間発表 ヤバい」「卒論 理系 終わらない」で検索して出会った記事のおかげです。絶望的な状況でも、なんとか卒論を書き上げた人たちの体験談に何度も救われました。

だから私も、卒論発表が終わったら、自分の経験を文章に残そうと決めていました。

実験がうまくいかない。必要なデータが取れない。装置が壊れる。質疑応答が怖い。緊張して眠れない。今まさに、そんな状況にいる人もいるかもしれません。

卒業研究は失敗してもいいのです。良い結果が出なくてもいいのです。教授からの質問に答えられなくて、格好悪くてもいいのです。投げ出さなければ、いつか必ず終わりが来ます。

この記事では、私が体験した卒業研究の1年間を、8分間の卒論発表を軸に振り返ります。当時は苦しいことばかりでしたが、後になって振り返ってみれば、意外と笑いどころの多い1年だったのかもしれません。

肩の力を抜いて、読んでみてください。

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【はじめに】 卒論発表1分前

「では次の人、準備ができたら始めてください」

司会の先生の声が、マイクを通して大講義室に響いた。

そうか。もう自分の番か。

発表を終えたばかりの人が、ノートPCを片付けて端の席へ戻っていく。入れ替わるように僕は席を立ち、自分のノートPCをプロジェクターに接続した。

高さ2メートルほどのスクリーンに、白地に黒文字だけのシンプルな【研究タイトル】が映し出される。

左手にマイク、右手にレーザーポインタを握ったまま、ちらっと会場に目を向けた。

教授陣や院生も含めて、ざっと100人はいたと思う。もっとも、そのときの僕は人数を数えられるほど落ち着いてはいなかったんだけども。

司会の先生の近くに置いてあるタイマーは「0:00」のまま。まだ始まってはいない。

これから8分間の研究発表と、3分間の質疑応答が待っている。タイマーが「8:00」になる前に、発表を終えなければならない。ちゃんと収まるかな……。

僕はマイクを口元に寄せ、ポインタを持った右手の指をキーボードに伸ばした。

「それでは、発表を始めます」

カチッ。

Enterキーの乾いた音が、静かな講義室に響く。

同時に、スクリーンの表示が【本研究の目的】のスライドへと切り替わった。

【本研究の目的】 卒論発表11ヶ月前(3月〜7月)

「難しいテーマでも大丈夫です」

ソファにふんぞり返るように腰かけた教授の顔をまっすぐ見て、僕はそう言った。

研究室配属の初日。まだギリギリ学部3年生だった、3月のことだ。

研究室の先輩方との顔合わせを終えると、指導教官である教授との面談があった。これから少なくとも1年間お世話になる先生との、最初の話し合いだ。

面談の内容は、卒業研究のテーマをどうするか、という話だった。この研究室では、本人から特に希望がなければ、教授が学生それぞれの適性や進路を考えてテーマを決めることになっていた。あとは教授の気分しだい。

ここで、冒頭の会話に戻る。

「難しいテーマというのは2種類あって、『実験的に難しい』というのと、『理論的に難しい』というのがあるけど、どっちの意味?」

教授はそう尋ねてきた。なるほど、そんなことは考えたこともなかった。

どうせやるなら、難しいほうがいいに決まっている。このときの僕は、本気でそう思っていた。

今の僕に言わせれば、「何を血迷ったことを言っているんだ、過去の自分!正気に戻れ!」と襟首をつかんで説教したいくらいである。

「勉強が好きなので、どちらかというと理論的に難しい方が自分には合っていると思います」

何も考えずにそう答えた。実験はあまり得意ではなかったからだ。

「いやいや、そうじゃないだろう。もっとよく考えろ。そもそも理論だって得意じゃないだろう?」と、ツッコんだところで時すでに遅し。

教授の全能感あふれる知識人オーラに当てられたせいか、それに対抗するように、自分でも理解不能な「意識高い系」を演じてしまった。

その結果、僕に与えられたテーマは、実験的にも理論的にも、他の人より難しいものだった。

理論はともかく、実験の難しさまで加わっているのだが……?

多少の戸惑いはあった。だが、このときの僕は理解不能な意識高い系である。

「まぁ、1年もあればどうにでもなるっしょ」

などと考えて、すっかり調子に乗っていた。まったくもって愚かである。

テーマが早く決まったからといって、すぐに実験を始められるわけではない。研究室のルール、測定機器の使い方、データ解析の方法など、自分のテーマ以外にも覚えることは山ほどある。

それらを頭に入れるだけで、1ヶ月かかった。


そして4月。

実験室の雰囲気にも慣れてきて、そろそろ自分のテーマの実験に取りかかろうと思っていた矢先、教授にこう言われた。

「そんなに焦ってやっても仕方ない。まずは誤差の勉強から始めよう」

実験する気満々だった僕は唖然とした。えっ、そのレベルから……?

結局、4月は誤差の勉強だけで終わった。実験装置には一切触れず、ひたすらフラスコの誤差を計算して終わった。


続いて5月。

誤差についても詳しくなったし、いよいよ自分のテーマに取り組もう。そう思って教授に相談すると、こんな答えが返ってきた。

「長い目で見ると、今すぐ君のテーマの実験を始めるより、他の装置の扱い方を覚えてから取り組んだほうが、理解が早い気がするんだよね。ほら、急がば回れっていうかさ」

はぁ、そういうものなのだろうか……。でも、たしかに一理ある。

教授の言葉に従うことにして、5月、6月、7月は、自分のテーマとは直接関係のない実験をして過ごした。

実験装置をひとつ扱うにも、その原理や解析方法を学ぶ必要がある。そのため、ひとつの実験をこなすのにも相当な手間と時間がかかった。

教授から与えられた研究テーマだったが、その実験に取りかかる前に理解しないといけないことが多すぎた。

「これ、絶対に僕のテーマには必要ない知識だろ!」と思うようなものまで、教授の指示で勉強させられた。

いやこれ、1年でこなせる量じゃなくね?

研究室に配属されて約半年、教授から借りた教科書を前にして、僕はそう悟った。

マイクを通して響く自分の声は、少し震えていた。そのうえ早口。

「そこで本研究では、……を行うことを目的としました」

と、もっともらしく言ってはいるものの、今回の僕の発表に目的なんてない。

この1年間で何とかやってきたことに、「研究の目的」という立派な看板を掲げただけにすぎない。

この研究の本当の目的は、もっとずっと遠くにある。配属初日に教授から聞かされたビジョンに比べれば、今回の僕の発表など、雀の涙ほどの貢献にしかなっていない。

タイマーは「2:13」を示していた。次のスライドへ移る。

(実際には、こんな正確な時間を覚えていたわけではありません。練習で測った時間を参考にしています)

Enterキーに指をのせ、軽く押す。

カチッ。

【試料の合成方法】 卒論発表7ヶ月前(8月〜11月)

8月末には大学院の入試があった。そのため、8月は研究を一時中断して、試験勉強に集中した。

今思えば、もっと早くから院試対策すべきだったと思う。とはいえ、なんとか合格できたので良しとする。

9月は遊んだ。院試勉強からの解放感もあって、2週間ほど研究室を休んで遊び倒した。

この1年間で唯一、研究のことを完全に忘れられた期間だった。

10月に入り、いよいよ自分のテーマの実験を本格的に始めようと準備をしていると、またしても怪しい影が近づいてきた。

教授である。

「他大学の研修に参加して、【光る物質】の合成方法を勉強してみない?」

はぁ……?

僕の研究では、紫外線を当てると明るく光る物質を使う。といっても、光る物質にもいろいろあって、これまでは実験の条件に合うものを自分で作っていた。

ただ、ひとつ問題があった。これまで使っていたものには毒性があったのだ。そこで教授は、毒性のない光る物質の作り方を他大学で勉強してこい、と言うのだ。

今までの光るやつでいいじゃん……。

とはさすがに言えず、「わかりました」とだけ答えて、僕は研修に参加することになった。


研修といっても、3日ほどの短いものだった。特に問題もなく終え、僕はまたいつもの研究生活に戻った。

これが10月後半の話。卒論発表までは、まだ4ヶ月近くあった。

正直に言うと、この時点でもまだ、なんとかなるだろうと思っていた。それは理解不能な意識高い系としてではなく、冷静に判断したうえで、なんとかなると思っていたのだ。

卒論発表に使える実験データはまだないけど、きっと大丈夫だろう、と。

実際、ここから順調に進んでいれば、余裕を持って発表に臨めていたはずだと今でも思う。

しかし、研究生活に「予想外」はつきもので、本当に、いつ何が起こるかわからない。

ここから僕は、研究生活の闇を見ることになる。

「このような方法で、オレンジ色の【光るやつ】を合成しました」

スライドに映った【光るやつ】の写真にレーザーポインタを向ける。

が、ポインタの光が映らない(実話)。

あれ? 電池切れ?

どうやら、このタイミングでレーザーポインタが逝ったらしい。

仕方なく写真のほうへ腕を伸ばして、

「こちらになります」

と続けた。

この時点でタイマーは「4:09」を示していた。残りはあと半分。

気を取り直して、次のスライドへ移る。

カチッ。

【実験の方法I】 卒論発表2ヶ月前(12月)

事件は突然起こった。

「あれ、なんで動かないんだろ」

昨日まで何の問題もなく動いていた実験装置が、なぜか動かなくなった。

落ち着いて調べてみても、原因がわからない。

その装置は、いわば僕の研究の心臓だった。これを中心に、僕の研究は成り立っていた。

これまでは回り道をして、自分のテーマとは関係のない実験をして経験を積んできた。そしていよいよ自分のテーマの実験ができると思った矢先、装置が壊れた。

これが動かないと、もう卒論どころではなくなる。

マジかよ……。

絶望に打ちひしがれながら、ひとまず教授に報告した。

きれいな顔をして死んでいった装置を一通り確認すると、教授は僕に尋ねた。

「何かした?」

「……何もしていません」

明らかに何かやらかした奴のセリフである。

「この装置、300万するんだよね……。さすがにもう買えないからさぁ」

ん、300万……?

僕は自分の耳を疑った。

なんか桁多くね……?

「……すみませんでした」

僕は深く頭を下げた。

何が原因で壊れたのか、本当に僕のせいだったのか、それさえわからなかったけど、とりあえず謝った。僕が触った後に動かなくなったのは事実なのだ。

これには、さすがの教授も頭を抱えていた。

結局、壊れた原因は最後までわからなかった。それでも、教授がこれまでの経験と膨大な知識を総動員してくれたおかげで、装置はなんとか復活した。

300万円、そして自分の卒業。今思えば、当時の僕が失うにはあまりにも大きすぎるものだった。このときの教授には、今でも感謝してもしきれない。

教授も、安堵のため息をついていた。

「君の指先からなんか出てたんじゃないの? 電気とかさ」

装置が直って安心したのか、教授が冗談めかしてそう言った。

しかし、こちらには冗談をうまく返せるほどの余裕はなかった。

「かもしれないです」

とだけ返した。

理解不能な意識高い系から、指先からなんか出す超能力者にランクアップした瞬間だった。

あとになって、「いやぁ、もしかしたらパウリ効果ですかね笑」くらい返すべきだったかと思ったけど、とてもそんなことを言える雰囲気ではなかった。

パウリ効果
理論物理学者ヴォルフガング・パウリ(1900年 – 1958年)は実験が不得手で、機材をよく壊していた。時には、彼が装置に触れただけで実験機材が壊れたり、近付いただけで壊れたりするという現象も起きた。これにちなんで、機械装置・電子装置を問わず、ある人物がその装置に触れただけで、あるいは近くに寄っただけで不可解な壊れ方をした場合、その人物が「装置にパウリ効果を及ぼした」と言うようになった。

パウリ効果 – Wikipedia

その翌日から、僕がホームセンターで買った静電気除去グッズを身につけて実験するようになったのは、言うまでもない。


先の一件以来、教授からは実験装置について、もっとよく勉強しておくように言われていた。

渡されたのは、500ページほどある装置のマニュアル。全部読む必要はないけど、一通り目を通しておくように、とのことだった。もちろん、すべて英語である。

パラパラとページをめくって眺めてみるも、内容がまったく頭に入ってこない。

これを読むために、僕は研究室にこもった。

ここまでが、12月半ばまでの話だ。

それからクリスマスが過ぎ、気づけば大晦日になっていた。年越しは研究室で、ひとり緑のたぬきをすすって過ごした。

除夜の鐘の音を聞きながら、僕はマニュアルのページをめくった。

相変わらずレーザーポインタは使えないまま、僕はスクリーンに腕を伸ばして発表を続けていた。

もしや、これもパウリ効果か? まったく、最後の最後までついていない。

むしろ今こそ、指先からなんか出すべきなんじゃないか? レーザーとか出てくれたら、ありがたいんだけど。

タイマーは「5:26」。少しペースが早いかもしれない。

セリフは頭で考えなくても口からスラスラ出てくる。話すスピードを少しだけ落とした。

「続いて、……の測定を行いました。こちらが実験装置の模式図です」

カチッ。

【実験の方法II】 卒論発表1ヶ月前(1月)

教授の言いつけを守るため、年末年始はずっと研究室で実験装置の勉強をしていた。

途中で嫌気が差して、現実逃避に走ることもあった。そんなとき、何度『般若心経ロック』の黄色先輩に救われたかわからない。

『般若心経ロック』の黄色先輩に救われたあの日。お経ロックの現代語訳と意味
般若心経の現代語訳とも言われる『般若心経ロック』の”黄色先輩”のコメントをまとめました。コメントに登場する仏教用語の意味も調べました。

そうやってなんとか食らいついたおかげで、自分の研究について以前より深く理解できるようになった。

そして、いよいよ本気で発表用のデータを取らなければならない時期がやってきた。

これまでは余計なことをしたり、思わぬトラブルに見舞われたりと、大きく回り道をしてきた。でも、ここからは最短で結果を出すための実験をしなければならない。

入念に実験の準備を整え、教授によって蘇生された装置を立ち上げようと、パソコンの電源を入れた。

はずだったのだが……。

パソコンが起動しない。

むむ?

頭の中が真っ白になった。

むむむ??

どういうこと?

マジか。

えぇ……。

いや、いったん落ち着こう。冷静になれ、自分。

とりあえず、まずは深呼吸。鼻から息を吸って、すーはー、すーはー。

頭を冷やしたところで、パソコンのマニュアルを読みながら解決を試みた。

結局、どうすることもできなかった。どうやら、パソコンの内部で回路がショートしているらしい。中のホコリを掃除しても直らなかった。

これはあれか? いわゆる「ジョンソンの法則」というやつか?

ジョンソンの法則
機械装置の故障は、もっとも都合の悪いタイミングを見計らって起きる。

アーサー・ブロック『21世紀版 マーフィーの法則』

いや、今そんなことを考えている場合じゃない。

その後、教授にも見てもらったが、これはもうパソコンを替えるしかないとのこと。幸い、空いているパソコンが別にあったので、それと入れ替えて装置を動かすことになった。

と、前回の装置の故障に比べればマシだったかのように書いているが、決してそんなことはない。

今や教授からはトラブルメーカーに認定され、研究室のメンバーからは「破壊神」と呼ばれるようになった。

いや、これは嘘。でも、内心そう思われているに違いないと本気で思っている。

そして教授からは、またしてもあの言葉を投げかけられた。

「やっぱり指先からなんか出てるんじゃないの?」

もはや何も言い返せない。なんか自分でも、そんな気がしてきた。

僕は壊れたパソコンを見つめながら、

「……かもしれないです」

とだけ答えた。

指先からなんか出す超能力者の再臨である。

思えばこの1年、やたらと自分の周りで壊れるものが多かった。体調しかり、実験装置しかり。

後になって知ったことだが、どうやらこの年は、僕の厄年だったらしい。

脳裏にこの1年の苦労がちらつく。

さっき説明したこの装置、実は2度も壊れてるんだぜ?

実験の原理よりも、装置の仕組みよりも、こいつが2度も奇跡の生還を果たしたことを、声を大にして皆に伝えたかった。

光を失ったレーザーポインタを握ったまま、スクリーンに手を伸ばして、そんなことを考える。

(実際には、そんなことを考える余裕なんてなかった)

装置が壊れたことなんて、発表している当の本人以外、誰にも関係のない話だ。

それがどれだけつらく、苦しいものだったか、知る者は自分しかいない。

タイマーは「6:02」。悪くないペースだ。

「こちらに示したのが、……の結果です」

カチッ。

【結果と考察】 卒論発表3週間前(2月)

2度にわたる装置の故障で、貴重な1ヶ月を失った。

卒論発表まで、残り3週間。え、3週間?

この時点でデータが取れていないというのは、本当にシャレにならない。いや、さすがに無理がある。

教授に現状を報告したところ、

「まぁ、卒論発表くらいなら、今ある実験データで発表しても卒業はできるけど……」

とのことだった。

ここでいう「今ある実験データ」とは、院試前に取った、僕のテーマとは関係ないと思っていた実験のデータのことである。

え、それでもいいんすか。

「でも、それじゃちょっと物足りないよね。せっかくここまで来たんだし」

僕としては、正直どちらでもよかった。でも、教授には2度も装置の故障から救ってもらった恩があるし……。

その期待に応えるためにも、

「発表ギリギリまで実験してみます」

と、僕は実験を続けるほうを選んだ。

それから2週間、毎日実験に励んだ。その間、装置は一度も壊れることなく動いてくれた。装置よ、本当にありがとう。

実際、こいつは卒論発表の2日前まで、何の問題も起こさずに動いてくれた。

ん? 今、発表2日前って言った?

卒論発表3日前

「先生、実験がうまくいきませんでした」

そう、実験は毎回うまくいくとは限らない。ていうか、むしろ失敗するのが当たり前である。

本来なら1年かけて自分のテーマの実験を進めるはずなのに、僕の場合は、なんやかんやで実験に取りかかったのが卒論発表の3週間前だった。

それで結果を出せというほうがどうかしてる。

「え、うまくいかなかったの? じゃあ発表できるものないじゃん」

発表できるものないじゃん!!

あまりの衝撃的な言葉に、心臓が締めつけられる感じがした。もちろん、恋ではない。

あれ、この前は今あるデータでも発表できるっておっしゃってましたよね……。

「あれだけじゃ何も議論できないでしょ? 卒論発表なんだから、ちゃんと考察できるデータがないと」

あれだけじゃ何も議論できない!!

いや、おっしゃる通りですけど!!

えっ、この前と言ってることちがくね?

それから何度かやり取りを重ねるうちに、僕は気づいた。

この教授、秒単位で自分の言っていることを変えやがる。

しかも、前に自分が言ったことを、きれいさっぱり忘れているときた。

てか、わかってるのかな。卒論発表まで、あと3日しかないんだけど……。

「もう1日くらい、足掻いてみてもいいんじゃない?」

……。

これには返す言葉が見つからなかった。

ここ1週間、僕の睡眠時間は毎日3時間ほどで、精神的にも体力的にも限界が近づいていた。

それなりに足掻いてきたつもりだったが、「もう1日くらい足掻いてみろ」とのご命令である。

これは自業自得なのか……? データを出せない自分が悪いのか?

「体調には気をつけて、がんばってね」

そう言い残すと、教授はさっさと帰り支度をして去っていった。

卒論発表2日前

時刻は深夜2時。もちろん、研究室には自分以外誰もいない。

静まり返った部屋で、昼間に測定したデータを解析していた。

残念ながら、得られたデータはお世辞にも良いものとは言えなかった。このままいけば、卒論発表では「なぜ測定が失敗したのか」という考察を話すことになりそうだ。

さすがに頭が働かなくなったので、30分ほど仮眠を取った。

少しだけすっきりした頭で、あらためて解析結果を眺めていると、衝撃の事実が発覚した。

これ、測定自体できてなくね……?

僕の実験では、データを自分で解析してみるまで、測定がうまくいったかどうかがわからない。経験を積んだ人なら、その場で判断できるんだろうけど、僕にはまだ無理だった。

目の前にあるデータは、明らかに僕が欲しかったものではなかった。かといって、「意味のある失敗」を示すデータでもない。

単純に、測定ができていなかったのだ。

まずいまずいまずいまずい……。

「この結果の原因としましては、そもそも測定がきちんとできていなかったためと考えられます」

そんな考察を、教授に伝えるわけにはいかない。ましてや、学問の怪物たる教授陣が集う卒論発表で口にするなんて、絶対にできない。

ここで頭を抱えている暇なんてなかった。

すぐに装置を立ち上げ、もう一度実験を始めた。

これが卒論発表2日前、朝6時のことである。

幸い、装置のセッティングは昨日のうちに済ませてあったので、測定そのものにはそれほど時間はかからなかった。

睡眠不足で回らない頭を、なけなしの根性とカフェインで無理やり動かし、細心の注意を払って実験を進めた。

(集中力を欠いた状態での実験は大変危険です。良い子は絶対に真似しないでね)

そして、ここで力尽きた。朝8時までに実験を終えたものの、もう頭も体も動かなかった。

家に帰り、泥のように眠った。

そして目を覚ましたのは、夕方の5時。そこから研究室に向かった。

朝の実験で何とか得られたデータを解析し、その結果を発表用のスライドにぶち込んだ。

気づけば、発表2日前の夜10時である。

やばいやばいやばいやばい……。

とっくに限界を超えていた僕は、このあたりから深夜テンションも手伝って、謎の全能感に包まれるようになった。

デキルデキルデキルデキル……。

どうやら頭のネジを数本、どこかに落としてきたらしい。

卒論発表前日

そして、発表前日の13時を回ったころ。

もう何杯目かもわからないコーヒーをあおりながら、充血した目を見開いて、ようやく発表用のスライドを完成させた。

体はだるく、頭にはずっと霧がかかったようなモヤモヤが残っていた。

そんな状態で、教授室のドアをノックする。

コン、コン、コン。

「失礼します。ようやくスライドができたので、発表を見ていただけますか」

教授は何も言わず、僕の拙い発表を聞いてくれた。

原稿を読み上げながら、僕はこの1年いったい何をしていたんだろう、と頭の隅で考えていた。

卒論発表は1人あたり、発表8分、質疑応答3分、交代準備1分の計12分。

このたった8分を、中身のあるもので満たすこと。それが、1年かけても僕にはできなかった。

発表時間そのものは、とりあえず何かしゃべっていれば埋まる。大事なのは、その8分の中に、教授たちの時間を奪ってまで聞いてもらう価値のある情報が含まれているかどうかだ。

僕の発表には、それがまったくなかった。

ただ卒業するための、形式的な発表。

疲れきった体の内側から、悔しさがこみ上げてくる。

『映像研には手を出すな!』の浅草氏の言葉が思い浮かぶ。

「終わるとか完成するとかではなく、魂を込めた妥協と諦めの結石が出る」

そう、僕の卒論発表は、妥協と諦めの結石なのだ。

「明日発表だから、あえて直すところは言わないけども、もう少しゆっくり話したほうがいい。今のままだと詰め込みすぎてる気がする。まぁ、全体としては前よりよく修正できてると思う」

これは決して、教授からのお褒めの言葉などではない。

もうどうすることもできない、これでいくしかない。そんな教授の妥協と諦めから出た言葉である。

この言葉もまた、教授から出た結石なのだ。


「この考察につきましては、……と考えております」

実験をやり直したおかげで、「測定自体ができていなかったから」よりは、いくらかマシな考察ができた。

とはいえ、ひどい考察であることに変わりはないんだけども。

チン。

「7:00」を過ぎたことを知らせるベルが鳴った。残り1分。

発表練習を始めたのは、前日の夕方からだった。

原稿を丸ごと暗記して、40回以上はくり返し練習したと思う。これでも少ないほうだ。

夜には同期が2人研究室にやってきて、3人でお互いの発表を聞き合い、質疑応答の練習もした。

「あともう11時間したら、卒論発表終わってるんですよ。すごくないですか!?」

同期のひとりがそう言うのを聞きながら、あと11時間もすればこの苦しみから解放されるのか、と何の実感もなく思った。

それが、あと1分で終わる。

(質疑応答があるので、正確にはあと4分だけど)

「それでは、本研究のまとめに移ります」

カチッ。

【本研究のまとめ】 卒論発表当日

発表前日、家に帰り着いたのは深夜2時だった。

いや、2時の時点でもはや前日ではない。当日である。

ベッドに入るなり、のび太並みの速さで眠りに落ちた。

卒論発表当日は、朝7時に起きた。気分はそれほど悪くない。頭のモヤモヤも晴れていた。

着慣れないスーツに袖を通し、支度を整えて研究室へ向かった。

僕の発表は午後からだった。午前中には、同じ研究室の同期3人の発表があった。

会場の後ろのほうから彼らの勇姿を見届け、これまでともに過ごした日々を思い浮かべながら、心の中で拍手を送った。

自分の番まで、まだ少し時間がある。時間の許すかぎり、研究室でひとり練習を重ねた。

そして冒頭に戻る。

【謝辞】 質疑応答とその後

「最後になりましたが、……この場をお借りして御礼申し上げます」

「以上で発表を終わります」

やっと、終わった。

タイマーは「7:46」。司会の先生がマイクを持ち、会場を見渡す。

「では、質疑応答に移ります。ご質問やコメントのある方は挙手を……」

ここからの質疑応答については、あまり記憶がない。

8分間の発表を終えた時点で、気が抜けてしまったのだと思う。どんな質問をされたのかも覚えていないし、どう答えたのかなんて、それこそまったく記憶にない。

かなり幼稚な回答をしたという自覚だけはあるんだけども。

ただ、あっという間だった。

以前、サークルの先輩2人に「卒論発表の質疑応答で大事なことって何ですか?」と聞いたことがある。

別々に聞いたにもかかわらず、2人の答えはまったく同じだった。

それは、「自分のわかる範囲で答えること」と、「わからないことはわからないと正直に言うこと」。

これさえ心がけていれば、質疑応答はあっという間に終わる。

……と、今なら簡単に言えるんだけど笑。

なんなら、今回の卒論発表では、聞かれたすべての質問に対して「すみません、わかりません」の一点張りで通した強者もいたし、終始無言で首をかしげたあげく「……今後検討します」と言って逃げ切った猛者もいた。

どんな発表をしても、いつかは終わるときがくる。

今回の僕の発表は、「終わりよければすべてよし」と言えるような出来ではなかった。それでも、これだけは断言できる。

「終わらない卒論発表はない」

何かしらちゃんとやっていれば、最後には何とかなるものである。

(無責任なまとめ方ですみません。でも、本当のことです)

「では次の人、準備ができたら始めてください」

再び、司会の先生の声が響く。

僕はノートPCからプロジェクターのケーブルを外した。スクリーンには、もう何も映っていない。

こうして、長かった僕の卒論発表は幕を閉じた。

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